三國連太郎さん十三回忌に約400人が参列、佐藤浩市「雲の上で聞いていたと思う」
2013 年 4 月に90歳で亡くなった俳優の三國連太郎さんの「十三回忌」が14日、東京・調布市の角川大映スタジオで営まれ、生前に親交のあった俳優や関係者約400人が参列した。
会場内のスクリーン左手には、美術監督の原田満生氏のデザインによる三國さんの映画撮影現場のオブジェが印象的にレイアウトされた。私物のトレンチコートや帽子、バッグ、劇用指輪、葉巻パイプ、つえ、撮影監督の木村大作さんの私物であるフィルムカメラなども展示。会場後方には、 特殊メイクの江川悦子さん作成の三國さん、息子の佐藤浩市、孫の寛一郎の親子三代のデスマスクも置かれた 。
佐藤は、「三國連太郎にはスタジオが似合うと思い、この撮影スタジオで執り行わせていただきます。三國の話をして盛り上げて、皆さんの楽しい笑い声を雲の上の三國に届けたいと思います。映画の作り方も変わってきましたが、三國がいた昭和・平成の時代の映画の話を含めて楽しい話を聞かせてください」と挨拶。寛一郎は、「三國と親父の会話の独特の緊張感を覚えています。自分が軽々しく言えない存在ですが、尊敬する好きな俳優の1 人です」としのんだ。
『釣りバカ日誌』シリーズで、西田敏行さんの妻役を演じた浅田美代子は『私は途中参加だったけれど、温かく迎えてくれました。三國さんは普段は楽しい人でしたが、脚本は書き込みが凄くて、西田さんと喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が続き、撮影できなかった日もありました』と思い出を披露。同シリーズの朝原雄三監督も、「いつも三國さんがとんでもないことを言い始め、浅田美代子さんがそれにビックリして西田さんが取りなすという関係性でした。三國さんが『釣りバカ日誌』に20 本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったからという思いだったそうです」と振り返った。
三國さんと佐藤の親子共演が話題となった『美味しんぼ』(1996)に出演した羽田美智子は、「私には当時言われていた親子の確執的なものは分かりませんでした。三國さんが、『ウチは普通の家とは違うので、(息子に対して)不びんなこともあったと思う』とおっしゃったり、見えないところで浩市さんの芝居を確認されたりするのを見て、緊張感はあれども愛し合っている親子にしか映りませんでした」と告白。すると、佐藤が「わだかまりということは実際なかったんですが、同じ道を歩む息子として反発するようなピリピリした空気感は少しありました」と明かした。
『八甲田山』(1977)などで共演した北大路欣也は、「役柄からセットで会うのも怖かった作品もあったり、『八甲田山』の撮影では、絶対に納得がいかないとOK が出ないこともありました。それでも40 日間の過酷な雪山撮影では文句を言わず、役者魂をぶつけられたような気がします」と称えた。
閉式に際し、佐藤は「これだけの方々が来て下さって昨日のことのように三國の話をしてくださる。雲の上で聞いてくれていたと思います」と感謝。寛一郎は「皆さんの話を聞くとエゴイストでクレバーな方だなと思いました。三國さんは芝居の中、映画の中でしか正直でいられなかったのかなと感じています。一つ言えることは、三國さんに恥ずかしくない作品を残していければと思います」と決意を新たにしていた。
記事:The Hollywood Reporter 特派員 鈴木元
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