『007』最新作、ヴィルヌーヴ監督でどう進化?映像美とシリーズ伝統の行方

ドゥニ・ヴィルヌーヴ Courtesy of Julian Ungano
ドゥニ・ヴィルヌーヴ Courtesy of Julian Ungano
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DUNE/デューン 砂の惑星』『ブレードランナー 2049』などで知られる映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴが、『007』シリーズ最新作の監督に決定した。第26作目となる今作は、Amazonがシリーズ権利を獲得して以降、初の作品となる。これまでスティーヴン・スピルバーグクリストファー・ノーランといった名監督たちも夢見ながら実現しなかった“007の監督”という座に、ついにヴィルヌーヴが就くことになった。

ヴィルヌーヴは起用に際し、「父と一緒にボンド映画を観て育った」「ジェームズ・ボンドは自分にとって神聖な存在であり、伝統を尊重しつつ、新たなミッションの扉を開きたい」とコメントしている。彼の言葉からは、真摯な愛情と強い意欲が伝わってくる。

映像演出においては、申し分のない実績を持つ。『DUNE/デューン 砂の惑星』では壮大な世界観を緻密に作り上げ、『ブレードランナー 2049』ではビジュアルと静寂が共鳴する映像美を提示した。『007』シリーズにおいても、美しいロケーション、アクションシーンの迫力、スタイリッシュな映像は重要な要素であり、その点でヴィルヌーヴの手腕に期待が寄せられている。

しかし、不安要素もある。ヴィルヌーヴの作品は一貫してシリアスで、ウィットやユーモアといった軽妙さがほとんどない。『007』シリーズはスパイアクションでありながら、遊び心や洒落た会話、時に茶目っ気のある描写が魅力でもあった。そのバランスが崩れると、トーンが極端に振れてしまう。ダニエル・クレイグ期は「重すぎる」との声もあった一方、ロジャー・ムーア期にはピエロ姿のボンドまで登場した。シリーズの魅力は、こうした“振れ幅”の中で絶妙な落としどころを見つけることにあった。

さらに、シリーズにおいて監督の自由度は低く、脚本やキャスティング、編集など多くの決定権はプロデューサー側が握ってきた。過去にはダニー・ボイルが方向性の違いから降板した例もある。ヴィルヌーヴは通常、最終編集権にこだわるタイプの監督であり、従来の制作体制との相性が問われる可能性もある。

とはいえ、新たなフェーズを迎えた『007』にとって、ヴィルヌーヴのような映像作家を迎える意義は大きい。視覚的完成度の高さと、原作やシリーズへの敬意が両立するのであれば、新たなボンド像が生まれる可能性もある。鍵を手にした彼がどのような一歩を踏み出すのか──ヴィルヌーヴ版ボンドへの注目が集まっている

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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