『エミリア・ペレス』主演俳優が人種差別発言で炎上、アカデミー賞に甚大な影響か
■まるで選挙…オスカー選考の仕組み
約10か月にわたるオスカー・レースは、5月のカンヌ国際映画祭から3月のアカデミー賞授賞式まで続くが、これはまるで政治選挙のようなものだ。候補者たちは、映画祭やプレミアで立候補を表明することから始める。その後、反響や批評をもとに有力視された候補の支援者たちは、巧妙に売り込みを始める。同時に、上映会やインタビューを通じて投票者へのアプローチを強める。やがて一部の候補者は「予備選」、つまりはオスカー前に行われる数々の賞レースへと進む。そして最後に迎えるのが「選挙当日」、オスカーの夜である。
しかし、類似点はそれだけではない。政治選挙の結果がオスカー受賞よりも遥かに重要かつ広範な影響を持つのは確かだが、オスカーを勝ち取ることによる名声や金銭的利益、その他の報酬もまた十分に大きいため、人々が醜い振る舞いをしたり、他者が過去の不祥事を暴こうとしたりすることも起こり得る。
■注目作『エミリア・ペレス』の主演俳優が炎上
その典型例が、スペイン人俳優カルラ・ソフィア・ガスコンのケースだ。ガスコンは映画『エミリア・ペレス』で主演を務め、1月23日に主演女優賞にノミネート。アカデミー史上初めて、トランスジェンダーの人物が俳優部門の候補に選ばれた歴史的瞬間でもあった。
しかし、それからわずか1週間も経たないうちに、ガスコンのオスカーの望み、さらには人生そのものが崩壊することとなった。1月28日のインタビューで、ガスコンは証拠もなく、同じく主演女優賞にノミネートされたフェルナンダ・トーレス(『I’m Still Here(英題)』)の関係者が自分への攻撃の背後にいるかのような発言をした。この発言は即座に炎上し、特にトーレスと作品を支持してきたブラジルのファンたちが激しく反発した。
その直後、ガスコンが過去数年間に投稿したツイートが次々と掘り起こされ、X(旧Twitter)上で拡散。それらのツイートには、さまざまなマイノリティに対する差別的な発言や、オスカー自体を揶揄するようなコメントまで含まれていた。ガスコンはアカウントを急いで削除したものの、すでに手遅れだった。
ガスコンのツイートが暴かれたこと、そしてそのタイミングが、完全に自然発生的なものではなかった可能性は十分に考えられる。また、『エミリア・ペレス』の配給会社であるNetflixは、莫大な資金力とオスカー・キャンペーンを専門に手掛けるチームを有しているのだから、同俳優の過去の問題発言を事前に見抜くべきだったとも言える。
■受賞の可能性はゼロに…?
だが結局のところ、この状況を招いたのは、他ならぬガスコン自身である。この一連の出来事には、ただ驚かされるし、そして悲しくもある。
ガスコンとは、ここ数か月の間に様々な映画祭やイベント、インタビューなどで何度も接する機会があったが、彼女にこのような暗い一面があるとは微塵も感じなかった。ガスコンが共演者のゾーイ・サルダナやセレーナ・ゴメス、そして監督のジャック・オーディアールと特別な絆を築いていたのは明らかであった。
それ以上に重要なのは、『エミリア・ペレス』を好むかどうかにかかわらず、ガスコンが本作で勇敢かつ大胆な演技を見せたこと、そして賞シーズンでの成功が多くの人々にとって希望と前進の象徴であったことだ。状況が違っていれば、彼女はオスカーを受賞するか否かにかかわらず、最終的には映画芸術科学アカデミー博物館の壁に、シドニー・ポワチエやキャスリン・ビグローと並ぶ先駆者として名前を刻まれていたことだろう。
しかし今や、ガスコン自身の行動が原因で主演女優賞受賞の可能性は完全に消え去り、それどころかキャリア自体が終わる可能性すらある。また彼女は、作品賞の最有力候補とも目されている『エミリア・ペレス』のオスカーの可能性にも大きなダメージを与えた。ここ数日、アカデミー会員たちと話した限りでは、多くの人が『エミリア・ペレス』にどの部門でも投票することをためらっているようだ。なぜなら、エミリア・ペレスを演じた張本人が「有害な存在」になってしまったからだ。
■オスカー・レースのスキャンダルは過去にも
『エミリア・ペレス』は、オスカー・レースの最中に「スキャンダル」に巻き込まれた初めての作品ではない。特にここ四半世紀ほどの間に、様々な告発が多くの作品のオスカーの行方を脅かしてきた。例えば、『ビューティフル・マインド』は、ラッセル・クロウが演じた人物が反ユダヤ主義者だったとされ、『スラムドッグ$ミリオネア』はインド人の子役を搾取したと非難され、『ハート・ロッカー』はある退役軍人から「自分の実話を盗用した」と訴えられた。『英国王のスピーチ』は歴史を歪めたと批判され、『グリーンブック』に至っては、数え切れないほどの問題を抱えていた。
興味深いことに、これまで挙げた作品はいずれも作品賞を受賞している。アカデミー会員たちは、それらの告発を虚偽、誤解を招くもの、あるいは映画の質を評価する上で無関係なものと判断したのだ。しかし、今回のガスコンの件は、これまでのどのケースとも異なるように思える。彼女の不適切な行動は擁護のしようもなく、自身や映画が掲げるテーマ(すなわち「寛容」)に完全に反している。それだけでなく、ガスコンは自らを支えるために懸命に働いてきた多くの人々の努力を台無しにしてしまった。
■現代のスキャンダルとSNSの影響
本件は極めて現代的なオスカー・スキャンダルであり、ネットとSNSが台頭する以前であれば起こり得なかっただろう。政治の世界と同様に、オスカー・レースにおいても対立候補に関する調査が行われることは昔からあったが、通常は別の候補の陣営の戦略家によって仕掛けられるものだった。その手法を是認するつもりはないが、事実として存在してきた。しかし、今回のケースでは事情が異なる。あらゆる兆候を見る限り、これは一般の人々――「過度なリベラリズム」に強く反発する層や、『エミリア・ペレス』のトランスジェンダーやメキシコの描写が侮辱的であると感じた層――が独自に動き、ガスコンに関する不都合な情報を探し出し、拡散したもののようだ。彼女自身が掘り返されるに値する情報を大量に残していたのも、事態を加速させた要因である。
これらの一般人が、ガスコンや『エミリア・ペレス』の失墜によって得をする対抗キャンペーンから支援を受けていた可能性はあるだろうか?そのことは否定できないし、ネットとSNSの時代において、それを証明するのは非常に困難である。しかし、結局のところ結論は同じだ。彼らは、オスカー・レースの流れを完全に変えてしまった。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。編集/和田 萌
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