【訃報】ロバータ・フラック:「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」の歌手、88歳で逝去
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歌手、ピアニストとして「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」と「愛のためいき(Feel Like Makin’ Love)」など数々の魂を揺さぶる名曲を残した、ロバータ・フラックが2月24日に88歳で逝去した。
ロバータ・フラックは、4度のグラミー賞受賞歴でグラミー賞の歴史を作ったパワフルな歌手であり、ピアニストとして、今も愛される「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」と「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」を発表した。
ロバータの代理人は、「私たちは、素晴らしいロバータ・フラックが今朝亡くなったことに心を痛めています。彼女は家族に囲まれて静かに息を引き取りました。ロバータは境界を破り、記録を作りました。彼女はまた、誇り高い教育者でもありました」と発表した。
2022年11月、彼女はALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、もはや歌うことが出来なくなっていたという。また、2016年には脳卒中に見舞われ、その2年後に演奏活動から引退していた。
ノースカロライナ州出身のロバータ・フラックは、心に響く「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」(1973年)と「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」(1974年)で、2年連続でグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞した最初のアーティストとなった。その後約20年後に、U2とビリー・アイリッシュがそれぞれ2001-02年と2020-21年に2年連続受賞の偉業を達成している。
ワシントンD.C.で教師として働き、夜はナイトクラブの歌手として活動していたフラックは、アトランティック・レコードと契約し、1969年にデビューアルバム『ファースト・テイク』をリリース、その1年後に『チャプター・トゥー』を発表するも、大きなヒットとはならなかった。
しかし、クリント・イーストウッド初監督映画『恐怖のメロディ』(1971年)の感動的な自然散策シーンとドナ・ミルズとのラブシーンに「愛は面影の中に」を使用したことをきっかけに、この曲は翌年シングルとしてリリースされ、瞬く間にナンバーワンとなり、ビルボードのホット100で6週間にわたり首位を保持した。
2022年のドキュメンタリー『ロバータ』でプロデューサーのジョエル・ドーンは、イーストウッドはこの曲の権利に1,000ドルを支払ったと明かした。
フラックは1973年に、大学時代からの友人であり、頻繁にコラボレーションを行った故ドニー・ハサウェイとのデュエット「恋人は何処に(Where Is the Love)」で2度目のグラミー賞を受賞。
多くのカバー、リミックスが発表され今も愛される名曲「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」もまた、最優秀ポップボーカルパフォーマンスのグラミー賞をフラックにもたらし、1973年には5週間にわたりナンバーワンを獲得した。彼女は1974年に「愛のためいき(Feel Like Makin’ Love)」で再びチャートの頂点に立ち、この曲では彼女の14回のグラミー賞ノミネートのうち3回を獲得した。
ロバータ・フラックは、2020年に長らく待ち望まれていたグラミー生涯功労賞を受賞している。
※この記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら。
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