【訃報】『心中天網島』『瀬戸内少年野球団』の篠田正浩監督が死去、94歳
『心中天網島』『はなれ瞽女おりん』『瀬戸内少年野球団』などで知られる日本を代表する映画監督の篠田正浩さんが25日午前4時55 分、肺炎のためで亡くなった。27日、松竹が発表した。94歳。故人の遺志により、葬儀は家族葬で営まれた。後日、お別れの会を開く予定。
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篠田さんは岐阜県に生まれ、早稲田大学に入学し競走部に入部。1年の時に箱根駅伝を走るなど期待されたが、その後のけがより競技生活を断念。学業に専念し、1953年、松竹の助監督試験を受け合格し入社した。
小津安二郎、渋谷実らの助監督を務め、60年『恋の片道切符』で監督デビュー。俳優の岩下志麻を起用した同年の2作目『乾いた湖』が高い評価を受け、1年後輩の大島渚、2年後輩の吉田喜重らとともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた。
65年に松竹を退社し、67年に独立プロダクション「表現社」を設立。その年の3月に岩下と結婚。69年、岩下主演の『心中天網島』では毎日映画コンクールの日本映画大賞、キネマ旬報ベスト・テンの作品賞、監督賞などを受賞。ヴェネチア国際映画祭にも招待された。
その後も72年『沈黙 サイレンス』、74年『卑弥呼』がカンヌ映画祭のコンペティションに選出。86年『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞に輝くなど、海外にもその名をとどろかせた。84年『瀬戸内少年野球団』に始まる90年『少年時代』、97年『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』の少年3部作など多彩な作品を多く生み出した。
17年間温めた構想を実現させた2003年『スパイ・ゾルゲ』で「これを最後に引退する」と表明。出演していた岩下が自らカメラを回しメイキングを担当したことでも話題となった。
引退後は、母校の早大で特命教授を務めるなど後進の育成に従事。21年4月、『夜叉ヶ池』(1979)の4Kデジタルリマスター版の関係者試写でパーキンソン病を患っていることを公表。同年7月に行われた同作のイベントでは元気な姿を見せ、観客との質疑応答も行っていた。
取材/記事:The Hollywood Reporter 特派員 鈴木元
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