ザ・ウィークエンド主演映画『Hurry Up Tomorrow』レビュー:自己陶酔が過ぎる感傷劇

バリー・コーガン、ザ・ウィークエンド、映画『ザ・ウィークエンドが映画初主演!『Hurry Up Tomorrow』写真:Lionsgate
映画『Hurry Up Tomorrow(原題)』より、バリー・コーガンとザ・ウィークエンド 写真:Andrew Cooper/Lionsgate
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アメリカでは多くの若者が一度はロックスターになることを夢見る。しかし、その夢が現実のステージに立つことなく、エアギターを披露する程度で終わる人も少なくない。振り返ってみれば、それで良かったと感じることもあるのだろう。ザ・ウィークエンドことエイベル・テスファイが主演・共同脚本を務める映画『Hurry Up Tomorrow(原題)』を見ると、世界的な音楽スーパースターとしての生活がいかに過酷かが伝わってくる。

『Hurry Up Tomorrow』では、スーパースターの華やかな表舞台とは裏腹に、孤独や苦悩が繰り返し描かれる。劇中、テスファイは幾度となく泣き、その姿は水分補給を心配してしまうほど。物語の後半には、テスファイがベッドに縛り付けられ、ジェナ・オルテガ演じる狂気じみたファンが彼の楽曲に合わせて踊りながら、歌詞の意味を解説する場面もある。口を塞がれたテスファイは、ただそれを見つめることしかできない。

監督はトレイ・エドワード・シュルツ(『WAVES/ウェイブス』『イット・カムズ・アット・ナイト』)。彼の得意とする不穏なムードは健在だが、今回はその演出がやや過剰に感じられる。オープニングクレジットだけでも30分近く続き、その前にはストロボ効果の警告や短編ミュージックビデオが挿入される。さらに、同名のアルバムのプロモーション映像まで加わり、映画としてのテンポが損なわれている。

散漫なストーリーと象徴主義の過剰さ

物語はテスファイが元恋人(声の出演:ライリー・キーオ)との別れに苦しむ様子を中心に展開する。彼は復縁を望み、何度も彼女の留守電にメッセージを残すが、返事はない。そのストレスから声にも悪影響が出てしまい、医者からは「声を休めるべきだ」と忠告される。しかし、彼の友人兼マネージャーのリー(バリー・コーガン)は、その忠告を無視して薬を勧める。

もう一人の主要キャラクター、アニマ(ジェナ・オルテガ)は、物語の中盤で登場する。彼女は冬の荒涼とした風景の中で一軒家を燃やすシーンで現れ、その後ザ・ウィークエンドのコンサートに現れる。二人は夜の街で楽しい時間を過ごすが、次第にアニマの行動は不穏さを増していく。

感情過多な描写と自己陶酔の危うさ

劇中のテスファイは、プライベートジェット、バスタブ、ホテルの部屋など、至るところで涙を流し続ける。さらに、吸入器を頻繁に使うシーンも繰り返される。ザ・ウィークエンドの楽曲は感情的なものが多いが、この映画ではその感情表現があまりにも過剰で、観客にとっては疲れてしまうレベルだ。

監督のシュルツは独特の映像美で知られているが、本作の映像表現は過去作と比較しても目新しさが感じられない。無人の都市をさまようテスファイのシーンでは、まるでゾンビ映画の一場面のようだ。

脚本を手がけたのはテスファイ、シュルツ、レザ・ファヒムの3人だが、全体的にユーモアが欠けており、自己陶酔的なトーンが続く。その結果、『レナルド&クララ』や『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』、『ヤァ!ブロード・ストリート』といった過去のミュージシャン主演映画のように、観客を置き去りにしてしまっている。

俳優としてのテスファイの限界

テスファイは俳優として新境地を開拓しようとしているが、その試みは成功しているとは言い難い。劇中で彼の苦悩する表情が何度も映し出されるが、それ以上の表現力には欠ける印象だ。オルテガとコーガンは、それぞれのキャラクターに情熱を注いでいるが、その演技だけでは映画全体の評価を覆すことはできない。

『Hurry Up Tomorrow』はザ・ウィークエンドの自己陶酔映画と言われても仕方がないだろう。HBOの短命で終わったドラマ『THE IDOL/ジ・アイドル』に続き、テスファイの俳優としての挑戦は今回も不発に終わった印象が強い。

※この記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら

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