大人気シリーズ最新作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』各メディアの批評家たちは賛否両論

『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』より 写真: ©LUCASFILM
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18日、カンヌ国際映画祭で『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』のプレミアが行われた。ジェームズ・マンゴールド監督のほか、ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、マッツ・ミケルセンらキャスト陣が登壇し、上映後は5分間のスタンディングオベーションに包まれた。主演のフォードは、観客の温かい反応に涙を流していた。

6月30日に全世界同時公開される同作へのレビューが、一足早く到着。長年愛されてきたシリーズのフィナーレだが、評価は賛否両論となっている。批評家たちの間で共通しているのは、前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)よりは“マシ”という意見。また、フォードの顔を若く見せるためにいくつかのシーンでデジタル加工が施されている点や、全体的なCGの使い方に対し多くの批判の声を上がった。一方、批評家たちはウォーラー=ブリッジや、今作でも変わらぬ魅力を発揮したフォードを絶賛している。

以下、各メディアの批評家たちによるレビューの抜粋

ハリウッド・リポーターのデイヴィッド・ルーニー氏: 「エンディングでは純粋なノスタルジアが沸き、嬉しい再登場も早い段階から視覚的なヒントによって暗示されている。でも、多くのものがあまりに偽物に見えてしまい、このフィナーレの面白さが霞んでしまっている」

ガーディアンのピーター・ブラッドショー氏: 「『運命のダイヤル』には、前作『クリスタル・スカル』にはなかった勢いや物語の独創性がある。くだらなさや娯楽要素満載で、大胆にも加齢への抵抗にまつわる問題のあれこれを物ともしない。インディアナ・ジョーンズは、昔ながらの良さを維持している」

IndieWireのデイヴィッド・アーリッヒ氏: 「『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は完全な時間の無駄で、過去の遺物はそのままにしておいた方がいいというメッセージとなっている。シリーズの過去作がなんとかしてそのことを明らかにしていれば良かったのだが。何とも“無難”だった」

Empireのジョン・ニュージェント氏: 「まるで考古学の宝物のように大切に守られてきたシリーズには、その分期待に沿ったクオリティが求められる。そのクレイジーなラストは、観客を二分するかもしれない―しかし、インディとともに冒険に出るのなら、映画界で愛されてきた盗掘人との相応しいお別れになっている」

Times of Londonのケヴィン・メア氏: 「良い知らせは『クリスタル・スカル』よりは酷くないということ。悪い知らせは、はるかに優れているわけではないこと。それでも、フォードはカリスマの塊だ。周りの機械がすべて自動操縦だとしても、彼は長年使い果たしてきたその生真面目さを代表的なキャラクターに注ぎ込んでいる。フォードもインディも、もっと報われるべきだった」

Vanity Fairのリチャード・ローソン氏: 「これまでの作品にみられた冒険要素、ワクワクするような超自然的な要素や極悪非道な悪役など基礎的な構成要素はそろっている。しかし、どこかで計算が間違っている。インディがこの映画の作風に合っていない。年老いた男が、場違いなところに引きずり出されたみたいだ」

The Daily Telegraphのロビー・コリン氏: 「とどのつまり、極めて貴重な宝物の偽造品のようだ。一見、形や光具合はそれらしく思えるが、見れば見るほどそのずさんな仕事ぶりが明るみになってくる。映画はドタバタ満載な一方で、これといった盛り上がりがない。製作陣のひらめきに驚嘆するようなショットや、ひねりの利いたアクションもなかった」

Total Filmのジェームズ・モットラム氏: 「マンゴールド監督によって、アクションが巧みに生かされている。最高なのは、感動すべきインディアナ・ジョーンズの映画になっている点だ。キャラクターは年を取っているが、必ずしもそれとともに賢くなったわけではない。ちょっと酒を飲みすぎたりもするし、愛する人たちを残してお宝や栄光を追い求めてきたことに対し、後悔の気持ちを抱えている」

※今記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら。翻訳/和田 萌

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