苦難だけじゃない――映画が描くユダヤ人の「喜びと多様性」

テレビや映画は、長い間ユダヤ人の苦難を描くことに長けてきた。しかしNetflixコメディ『こんなのみんなイヤ!』(2024年~)は、別の描き方もあることを示している。
この記事は、米『ハリウッド・リポーター』の8月特別号に初掲載されたものであり、映画監督のレイチェル・イスラエルが語ったものである。
レイチェル・イスラエル監督について
レイチェル・イスラエルは脚本家兼映画監督であり、2017年に発表した映画『キープ・ザ・チェンジ(原題:Keep the Change)』は、自閉スペクトラム症の大人同士の恋愛を描き、トライベッカ映画祭で最優秀長編作品賞を受賞。『ニューヨーク・タイムズ』の批評家推薦作品にも選ばれた。最新作は『The Floaters(原題)』である。
『ダーティ・ダンシング』におけるユダヤ系映画の本質
私が大人へと成長する過程で欠かせなかった映画のひとつが『ダーティ・ダンシング』(1987年)である。最初に思い浮かべるとき、この作品をユダヤ的な映画だと捉える人は少ないかもしれない。幅広い層に受け入れられているからだ。
しかし改めて考えてみると、これは究極のユダヤ映画である。力強いユダヤ人のヒロインがおり、物語はユダヤ文化的な背景を舞台にし、彼女は平等、権威への疑問、勇気といったユダヤの価値観に基づいて行動している。
さらに、この映画は観ていて純粋に喜びを感じられる作品でもある。性愛への欲求、音楽、ユーモア、リスクを取る勇気、そうした人間としての健康的な感覚が血を速く巡らせ、観る者をより生き生きとした気持ちにさせる映画なのだ。
ユダヤ系物語の2つのカテゴリー
対照的に、私たちがまず「ユダヤ」と聞いて思い浮かべる物語は、大きく分けて2つのカテゴリーに属する傾向がある。ひとつは神経質なユダヤ人を描いたコメディ、もうひとつはトラウマを題材にした作品である。後者は、多くの場合ホロコーストを中心に据えるか、その背景として描かれることが多い。
たとえば『シンドラーのリスト』(1993年)、『戦場のピアニスト』(2002年)、『ブルータリスト』(2025年)といった作品が挙げられる。私たちはこうした物語を語ることに長けてきたし、それらは私たちの強さを示す証であり、また警鐘を鳴らすものとして非常に重要である。これからも作り続ける必要がある。だが、喪失の物語は、私たちという民族を形作る一部にすぎない。
コメディに関しては、ラリー・デイビッド、エイミー・シャーマン=パラディーノ、ナターシャ・リオンといったクリエイターたちが、神経質なユダヤ人像を新たに描き直し、奥行きのある魅力的なキャラクターを生み出してきた。
ほかにも『ガールズ』(2012~2017年)、『クレイジー・エックス・ガールフレンド(原題)』(2015~2019年)、ウディ・アレン初期の多くの映画が例として挙げられる。神経質なユダヤ人というタイプは実在し、これらの作品はその姿を微妙なニュアンスと深みをもって描き出している。
とはいえ、神経質という典型像を超えたユダヤ人のコメディキャラクターはあまり多くなく、表現が浅ければ単なるステレオタイプに陥ってしまう。ユダヤ人のドラマが歴史的な痛みを反映することが多いように、コメディもまた不安を反映しがちである。
私が提案したいのは、今こそスクリーン上にもっと「ユダヤの喜び」を描く余地を作るべきだということである。真のユダヤ文化、倫理観、経験に根ざし、ユダヤ人の人生を多面的で刺激的に描く映画やテレビ番組を増やすべきなのだ。トラウマや神経質という物語に加え、ユダヤ人の人生が喜びに満ちたものであることも表現する必要がある。
Netflixコメディ『こんなのみんなイヤ!』が示す新たな可能性
エミー賞にノミネートされたNetflixコメディ『こんなのみんなイヤ!』には、美しい場面がある。ラビ・ノア(演:アダム・ブロディ)が、ユダヤ教徒ではない恋人ジョアン(演:クリステン・ベル)のために、バーの中でシャバットの儀式である“キドゥーシュ※”と“ハモツィ※”を行うのだ。
そこには現代的でありながらも精神的な深みがあり、歴史に根ざしつつ、あふれる活気に満ちている。この場面は、宗教的なユダヤ人の世界を親しみやすく見せ、ユダヤ人のアイデンティティを苦難や不安だけにとどまらないものへと広げている。こうした瞬間をもっとスクリーンに増やしてほしい。
※キドゥーシュとは、ユダヤ教の夕食前に行う祈りの儀式と祝福の言葉
※ハモツィとは、ユダヤ教の食事の前に唱えられる祝福の1つ
『僕たちのアナ・バナナ』(2000年)、『デランシー・ストリート/恋人たちの街角』(1988年)、そしてもちろん『ダーティ・ダンシング』(1987年)といった過去の作品は、ユダヤ人の喜びを描いた映画の古典的な例であり、ユーモアや情熱、そして皮肉のない純粋な愛への信頼に満ちている。
- Netflix作品『こんなのみんなイヤ!』でジョアン役を演じるクリステン・ベル 写真:Hopper Stone/Netflix
- クリステン・ベル、アダム・ブロディ、Netflixコメディ『こんなのみんなイヤ!』より STEFANIA ROSINI/NETFLIX
現代におけるユダヤ系アイデンティティの複雑さ
この2年間、ユダヤ人であることはより困難になった。反ユダヤ主義の高まり──たとえば、首都ユダヤ博物館やコロラド州ボルダーでの最近の襲撃、そして10月7日の惨劇やガザでの悲惨な戦争と飢饉によって、世界は混乱している。
ユダヤ人としてのアイデンティティも、以前よりはるかに複雑に感じられる。ユダヤ人の親として、私は常に、子どもたちがしっかりと支えられたユダヤ人としての自覚を持てるよう願ってきた。しかし近年、多くのユダヤ人家庭ではイスラエルに関する意見の違いがあまりにも大きく、家族同士で会話すらできない場合がある。
政治的立場がどこであれ、今この時代にユダヤ人でいることは容易ではない。それは、良心を持つ人間であること自体が容易でないのと同じだ。絶望する理由はいくらでもある。しかし、喜びはその解毒剤であり、喜びに根ざした物語は私たちを支え、つなぎとめる。
新作『The Floaters(原題)』で描くユダヤ系の多様性
私は最近、『The Floaters(原題)』(2025年)という映画を監督した。これはユダヤ人のサマーキャンプを舞台にしたコメディで、若さ特有のまぶしく、少し気恥ずかしく、繊細でありながら性的な高揚感に満ちており、さまざまな形のユダヤ人アイデンティティを祝福する作品である。
本作では、ユダヤ人キャラクターをすべてユダヤ人俳優が演じており、これは珍しいことである。さらにキャストも多様だ。なぜなら、ユダヤ人は単一の文化や背景を持つ集団ではないからである。登場人物たちは異なる背景を持ち、ユダヤ教とのかかわり方もバラバラだが、夏の騒動のなかでたがいにつながっていく。
この映画は、コミュニティがどうやって個々の強さを育み、異なる価値観を持つ人々の集まりがどうやって1つにまとまれるのかを問いかける。ユダヤ人であることの意味を広く、豊かに提示することには喜びがあるのだ。
多面的な表現の重要性
今こそ、スクリーンに映し出されるユダヤ人の物語を、新たな潮流へと進める時期だ。もっと喜びに満ちた物語へと比重を移すべきである。これは、不安や苦しみを無視したり、困難なテーマを避けたりすることではなく、「それもあって、さらに…」と言うことだ。
こうして喪失の物語と喜びの物語のバランスを取らなければ、「ユダヤ人であること=痛み」という誤ったイメージを次の世代に植え付けてしまう危険がある。また、多様なユダヤ人キャラクターを描かなければ、世界が私たちを見る視点も、私たち自身が自分を見る視点も狭めてしまう。
過去と真剣に向き合い、混沌とした現在に踏み込み、心の傷を整理する助けとなる映画が必要だ。だが同時に、前に進む力を与えてくれる、魅力的で、ユーモラスで、スリリングで、生きる喜びを感じさせる物語も必要である。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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