2025年、ハリウッドを包んだ悲しみ —— 巨星たちの旅立ち【追悼録】
2025年、ハリウッドはまたひとつ、時代を象徴した数々の才能を失った年となった。俳優、歌手、監督、音楽プロデューサー、そして映画界を支えた重鎮たちが次々とこの世を去り、エンターテインメント業界全体が深い喪失感に包まれている。
米『ハリウッド・リポーター』は、今年世を去った著名人たちの中から、特にその功績が輝きを放ち続ける人物たちを追悼している。ダイアン・キートン、ロバート・レッドフォード、ヴァル・キルマー、ジーン・ハックマン、ミシェル・トラクテンバーグ、オジー・オズボーン、デヴィッド・リンチ、ブライアン・ウィルソン、アーヴ・ゴッティ、そしてジェフ・ベイナ、いずれも時代を彩った俳優・著名人である。
ジェフ・ベイナ(1977年6月29日―2025年1月3日)
インディペンデント映画の監督・脚本家であり、俳優オーブリー・プラザの夫としても知られるジェフ・ベイナが、1月3日、ロサンゼルスの自宅で、47歳で亡くなった。プラザは声明で「これは想像を絶する悲劇です。支えてくださるすべての方に感謝します。どうか今は静かに見守ってください」と語った。ロサンゼルス郡検視局によると、死因は自死であったという。
サム・ムーア(1935年10月12日―2025年1月10日)
伝説のソウル・デュオ「サム&デイヴ」の一員として知られ、相棒デイヴ・プレイターとともに教会音楽の魂をポップスへと昇華させた名シンガー、サム・ムーアが1月10日に89歳で死去した。スタックス・レコードの黄金期を象徴する「コール&レスポンス」のスタイルで、ムーアはソウル・ミュージックの歴史に不滅の足跡を残した。
デヴィッド・リンチ(1946年1月20日―2025年1月16日)
『ブルーベルベット』(1986年)、『マルホランド・ドライブ』(2001年)、テレビシリーズ『ツイン・ピークス』などで知られる脚本家・監督のデヴィッド・リンチが、1月16日に78歳で死去した。昨年、長年の喫煙による肺気腫を患い、感染症への恐れから外出を控えていたことを明かしていた。リンチは、表面的には穏やかで牧歌的に見えるアメリカの裏側に潜む、奇妙で不穏な世界を映し出すことで知られた映像詩人である。リンチの作品は、夢と現実、愛と恐怖、そして美と狂気の境界を問い続けた。
ジョーン・プロウライト(1929年10月28日―2025年1月16日)
戦後イギリス演劇界を代表する名俳優の1人であり、その卓越した演技力と存在感で知られたジョーン・プロウライトが、1月16日に95歳で死去した。プロウライトは名優ローレンス・オリヴィエの三番目にして最後の妻としても広く知られていたが、その名声の陰にあっても、常に実力派俳優として確固たる地位を築いていた。
アーヴ・ゴッティ(1970年6月26日―2025年2月5日)
レコードプロデューサー、音楽実業家として知られ、マーダー・インク・レコーズの創設者としてヒップホップ界にその名を刻んだアーヴ・ゴッティが2月5日に54歳で死去した。ゴッティは2000年代初頭のヒップホップ黄金期を支え、数々のアーティストを世に送り出した立役者であった。
ミシェル・トラクテンバーグ(1985年10月11日―2025年2月26日)
子役としてキャリアをスタートさせ、『ハリエットのスパイ大作戦』(1996年)の主演で注目を集めた後、米ドラマ『バフィー 〜恋する十字架〜』(1997~2003年)や『ゴシップガール』(2007~2012年)など人気ドラマで活躍した俳優ミシェル・トラクテンバーグが、2月26日に39歳で死去した。
ジーン・ハックマン(1930年1月30日―2025年2月26日)
『フレンチ・コネクション』(1971年)でニューヨーク市警の強面刑事ジミー・ポパイ・ドイルを演じ、圧倒的な存在感と緊迫感あふれる演技で知られた名優ジーン・ハックマンが95歳で死去した。2度のアカデミー賞を受賞した名優であり、多くの俳優から深く敬愛されていたハックマンは、2月26日、妻ベッツィ・アラカワ(65)とともにニューメキシコ州サンタフェの自宅で亡くなっているのが発見された。死因は重度の心血管疾患で、アルツハイマー病も一因と公表された。
ヴァル・キルマー(1959年12月31日―2025年4月1日)
強烈なカリスマ性を放ちつつ、『トップガン』(1986年)のアイスマン役、『トゥームストーン』(1993年)のドク・ホリデイ役、『バットマン フォーエヴァー』(1995年)のバットマン役など、苦悩と自己嫌悪に満ちたキャラクターに自身を重ねた俳優ヴァル・キルマーが、4月1日、肺炎のため65歳で死去した。娘で俳優のメルセデス・キルマーが訃報を発表した。その演技は常に危うさと繊細さの狭間にあり、スクリーンの内側で“役に呑まれる”ことを恐れない稀有な俳優であった。
ドン・ミッシャー(1940年3月5日―2025年4月11日)
スーパーボウルのハーフタイムショーからオリンピック開会式、アカデミー賞、エミー賞まで、世界最大級のライブ・エンターテインメントを手がけた名演出家・プロデューサー、ドン・ミッシャーが4月11日に85歳で死去した。エミー賞を幾度も受賞し、生放送の魔術師とも称されたミッシャーは、テレビ史における「瞬間の演出」を極めた存在であった。
ジョージ・ウェント(1948年10月17日―2025年5月20日)
NBCの伝説的コメディドラマ『チアーズ』(1982~1993年)で、ビールを片手にバーに通い続ける庶民的キャラクター、ノーム・ピーターソン役を全11シーズンにわたって演じた俳優ジョージ・ウェントが、5月20日に76歳で死去した。ウェントが演じたノームは、アメリカのテレビ史におけるもっとも愛された常連客の1人として、いまなお視聴者の記憶に生き続けている。
スライ・ストーン(1943年3月15日―2025年6月9日)
ウッドストックやフィルモア・ウェストでの伝説的なステージで観客を「ハイ」に導き、時代の空気を一変させた音楽革命児、スライ・ストーンが6月9日に82歳で死去した。カリスマ的な才能でファンクとソウルを融合させた一方、そのキャリアは薬物問題や突発的な失踪に悩まされる波乱に満ちていた。それでもなお、ストーンの音楽は自由と希望の象徴としていまも鳴り響いている。
ブライアン・ウィルソン(1942年6月20日―2025年6月11日)
ビーチ・ボーイズの創設メンバーとして、「10代のための神への交響曲」と称された美しい楽曲群を生み出し、青春の痛みと夢を詩的に描いた音楽家ブライアン・ウィルソンが、6月11日に82歳で死去した。ウィルソンのメロディは、アメリカ西海岸の海風とともに永遠に流れ続ける。純粋さと哀愁を同居させたそのサウンドは、ポップ・ミュージック史における金字塔である。
アン・バレル(1969年9月21日―2025年6月17日)
フード・ネットワークの人気シェフであり、『ワースト・クックス・イン・アメリカ(Worst Cooks in America)』(2010年~)のホストとして知られたアン・バレルが、6月17日に55歳でニューヨークの自宅で死去した。エネルギッシュな語り口と温かみのあるキャラクターで、多くの視聴者から愛されたバレルは、テレビ料理番組の新しい時代を築いた存在であった。
マイケル・マドセン(1957年9月25日―2025年7月3日)
『レザボア・ドッグス』(1992年)、『キル・ビル Vol.1 & 2』(2003/2004年)、『ヘイトフル・エイト』(2015年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)など、クエンティン・タランティーノ作品で知られる屈強な俳優マイケル・マドセンが、7月3日に67歳で死去した。荒々しさの中に人間味をにじませる独特の存在感で、90年代以降のアメリカ映画に確かな爪痕を残した。
ジュリアン・マクマホン(1968年7月27日―2025年7月2日)
『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』(2003~2010年)や映画『ファンタスティック・フォー [超能力ユニット]』(2005年/2007年)で知られるオーストラリア出身の俳優ジュリアン・マクマホンが、がんとの闘病の末、7月2日に56歳で死去した。冷徹さと色気を兼ね備えた演技で、テレビと映画の両方において確かな存在感を放ち続けた。
アラン・バーグマン(1925年9月11日―2025年7月17日)
3度のアカデミー賞に輝く作詞家であり、亡き妻マリリン・バーグマンとともに映画音楽史に名を刻む名コンビを築いたアラン・バーグマンが、7月17日に99歳で死去した。「追憶(The Way We Were)」「風のささやき(The Windmills of Your Mind)」「イエントル(Yentl)」など、彼らが紡いだ詞はスクリーンに永遠の詩情を与え、映画音楽の黄金期を象徴する存在となった。
オジー・オズボーン(1948年12月3日―2025年7月22日)
1970年代初頭にブラック・サバスのボーカルとして台頭し、ヘヴィメタルというジャンルを切り拓いた「メタル・ゴッド」ことオジー・オズボーンが、7月22日に76歳で死去した。ソロアーティストとして数々の名盤を世に送り出し、リアリティ番組で自らの破天荒な日常をさらけ出すなど、常にロックの象徴として時代の先頭を走り続けた。
ハルク・ホーガン(1953年8月11日―2025年7月24日)
1980年代、金髪のたくましい肉体と豪快なパフォーマンスでプロレスをメインストリームへと押し上げ、一世を風靡したスーパースター、ハルク・ホーガンが7月24日に71歳で死去した。「ハルクマニア」の名で知られるそのカリスマは、リングを越えてアメリカ大衆文化の象徴となり、世代を超えて人々の心に刻まれた。
ブランドン・ブラックストック(1976年12月16日―2025年8月7日)
タレントマネージャーとして活躍し、歌手ケリー・クラークソンの元夫としても知られたブランドン・ブラックストックが、がんとの闘病の末、8月7日に48歳で死去した。音楽業界の裏方として多くのアーティストを支え、そのキャリアは静かでありながら確かな影響を残した。
テレンス・スタンプ(1938年7月22日―2025年8月17日)
1960年代スウィンギング・ロンドンの象徴として時代を体現し、『奴隷戦艦』(1962年)、『スーパーマン』(1978年・カメオ)、『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)、『プリシラ』(1994年)などで多彩な演技を見せた英国俳優テレンス・スタンプが、8月17日に87歳で死去した。端正な容姿と深い内面性を併せ持つスタンプは、半世紀以上にわたりスクリーンの上で変幻自在な存在感を放ち続けた。
フランク・カプリオ(1936年11月24日―2025年8月20日)
ロードアイランド州で長年判事を務め、法廷番組『コート・イン・プロビデンス(Caught in Providence)』で親しみやすい人柄と温かな正義感を見せたフランク・カプリオが、8月20日に88歳で死去した。人情味あふれる裁きとユーモアに満ちた法廷運営で、多くの視聴者から愛され、「アメリカでもっとも優しい判事」として知られた。
ジェリー・アドラー(1929年2月4日―2025年8月23日)
ブロードウェイの舞台裏で長年活躍し、名作ミュージカル『マイ・フェア・レディ』初演版の舞台監督を務めたのち、『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』『グッド・ワイフ』『レスキュー・ミー NYの英雄たち』などで俳優としても知られたジェリー・アドラーが、8月23日、ニューヨークで、96歳で死去した。
ジョルジオ・アルマーニ(1934年7月11日―2025年9月4日)
1975年に自身のブランドを設立し、「パワースーツ」の代名詞として世界のファッション史にその名を刻んだイタリアのデザイナー、ジョルジオ・アルマーニが9月4日、ミラノの自宅で、91歳で死去した。洗練と機能美を融合させたアルマーニのデザインは、20世紀後半のモードを刷新し、エレガンスの概念を再定義した。
チャーリー・カーク(1993年10月14日―2025年9月10日)
保守系学生団体「ターン・ポイントUSA」を立ち上げ、後に共和党政治に大きな影響力を持つ「アメリカ・ファースト」運動へと発展させた活動家チャーリー・カークが、9月10日、ユタ州ユタ・バレー大学のキャンパス内で31歳で死去した。「MAGA(Make America Great Again)」を掲げた若手保守の象徴的存在として知られ、政治活動の手腕と発信力でアメリカの右派運動に新たな潮流を生んだ。
ロバート・レッドフォード(1936年8月18日―2025年9月16日)
『明日に向って撃て!』(1969年)、『スティング』(1973年)、『追憶』(1973年)、『大統領の陰謀』(1976年)などに出演し、アメリカ映画の黄金の時代を象徴した名優であり、サンダンス映画祭の創設者としても知られるロバート・レッドフォードが、9月16日にユタ州プロボ近郊の自宅で89歳で死去した。
監督としても『普通の人々』(1980年)でアカデミー賞を受賞し、俳優・監督・プロデューサーとしてハリウッドに新たな芸術的気風をもたらした。レッドフォードの存在は、俳優としてのみならず、独立映画文化を支え続けた点でも功績は計り知れない。
ジェーン・グドール(1934年4月3日―2025年10月1日)
チンパンジーの画期的な野外研究で知られ、世界的な環境保護運動を牽引してきた霊長類学者・環境活動家ジェーン・グドールが、10月1日に91歳で死去した。グドールはタンザニア・ゴンベ渓流国立公園での長年の調査を通じ、人間と動物の垣根を越えた理解を世界に広め、自然との共生の重要性を訴え続けた。その生涯は、科学と良心、そして地球への深い愛に貫かれていた。
ダイアン・キートン(1946年1月5日―2025年10月11日)
ウディ・アレン監督作『アニー・ホール』(1977年)で、風変わりで魅力的なヒロインを演じアカデミー賞を受賞し、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』3部作ではアウトサイダー的存在ケイ・アダムス=コルレオーネ役を演じた名俳優ダイアン・キートンが、10月11日に79歳で死去した。その独特のファッションセンスと知的な個性、そして温かみのある演技で、キートンは1970年代以降のハリウッドに新しい女性像をもたらした。
ディアンジェロ(1974年―2025年10月14日)
1990年代に「ネオ・ソウル」のムーブメントを牽引し、グラミー賞を受賞したR&B界のアイコン、ディアンジェロが、がんとの闘病の末、10月14日に51歳で死去した。『ブラウン・シュガー(Brown Sugar)』『ヴードゥー(Voodoo)』『ブラック・メサイア(Black Messiah)』などのアルバムで、官能とスピリチュアリティを融合させたディアンジェロの音楽は、ソウルの再生を告げる新たな時代の到来を象徴していた。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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