映画『スピード』30周年記念、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが奇跡の再会

2024年10月8日にハリウッドのエジプシャン・シアターで開催されたアメリカン・シネマテーク主催のビヨンド・フェストにて、映画『スピード』公開30周年記念上映後のQ&Aセッションに参加したキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre
2024年10月8日にハリウッドのエジプシャン・シアターで開催されたアメリカン・シネマテーク主催のビヨンド・フェストにて、映画『スピード』公開30周年記念上映後のQ&Aセッションに参加したキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre
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ビヨンド・フェストで沸き起こった熱狂の一夜

ロサンゼルスのエジプシャン・シアターが、10月のある夜、熱狂に包まれた。映画『スピード』(1994年)の公開30周年を記念し、ヤン・デ・ボン監督、主演のキアヌ・リーブスサンドラ・ブロックが揃って登壇したスペシャル上映会が「ビヨンド・フェスト」で開催されたのだ。上映後には、約50分におよぶ豪華なトークセッションが行われ、ファンにとってまさに「30年越しの再会」となった。

イベント前から、この夜が特別なものになることはだれの目にも明らかだった。リーブス、ブロック、デ・ボン監督の3人が『スピード』について同じ舞台で語るのは、これが初めてである。1994年の公開当時、製作費3,000万ドル(約30.6億円)の小規模作品ながら、世界興収は3億5,000万ドル(約357億円)を超える大ヒットを記録。以後、2人は数々の作品でキャリアを重ね、いまなおたがいを称え合う関係にあるが、公の場で顔を合わせるのは十数年ぶりのことだった。

※1994年当時(映画公開)の為替レートで換算

キアヌ・リーブス、『スピード』(1994年)より 写真:20th Century Fox / Everett Collection
キアヌ・リーブス、『スピード』(1994年)より 写真:20th Century Fox / Everett Collection

サンドラ・ブロック、久々の公の場

ブロックにとっても、久々の公の場となった。ブロックは2022年の『ザ・ロストシティ』の成功以降、パートナーであったブライアン・ランドール氏を2023年8月に亡くしてからは、表舞台を離れていた。最近のインタビューは唯一、記者クリス・タプレイによる『スピード』30周年記念ポッドキャスト『50 MPH』でのリーブスとの対談のみ。今回の上映イベントも、タプレイの熱意によって実現したものである。タプレイは冒頭の挨拶で「今夜この会場にあふれるエネルギーが待ちきれない」と興奮気味に語った。

ブライアン・ランドール氏、サンドラ・ブロック 写真:THR.com
ブライアン・ランドール氏、サンドラ・ブロック 写真:THR.com

516席の会場は満席となり、外には入場できなかった観客が長蛇の列を作った。2時間近い上映中、観客は何度も歓声と拍手でスクリーンを包み込み、ラストには3人をスタンディングオベーションで迎えた。

監督が語った賛辞

監督のデ・ボンも、その熱気に感動を隠せなかった。司会のジム・ヘンピルによるQ&Aの最中、監督は思わずこう語った。
「話を続ける前に、一言いわせてほしい。30年ぶりにこの2人に会って、今夜スクリーンで作品を観たとき、私は心から誇らしかった。彼らがやってくれたことは、時に彼ら自身にとって自然ではないことも多かったが、本当にすばらしかった。2人の間に生まれた関係性は、まるで現実のようで、完璧だった。笑いも、涙も、微笑みも、すべてが真実味にあふれていた。あらためて、彼らがどれほどすばらしい俳優かを伝えたかった」

(左から)司会のジム・ヘンピル、ヤン・デ・ボン監督、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre
(左から)司会のジム・ヘンピル、ヤン・デ・ボン監督、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre

ストーリー内容

脚本はグレアム・ヨスト。ロサンゼルス市警のジャック・トラヴェン(演:キアヌ・リーブス)が、狂気の犯人ハワード・ペイン(演:デニス・ホッパー)によって爆弾を仕掛けられたバスの乗客を救うため奔走する。時速50マイルを下回れば爆発するという極限の状況の中、偶然その場に居合わせた乗客アニー・ポーター(演:サンドラ・ブロック)が運転を引き受け、危機に立ち向かう。息もつかせぬ展開と、リーブスとブロックの化学反応が生んだスリルとロマンスは、いまなお多くの映画ファンを魅了し続けている。

トークのハイライトと「続編」の行方

トークでは、撮影の舞台裏や2人の絶妙なコンビネーション、そしてデ・ボン監督のリアル志向のアクション演出についても語られた。
「すべて本物の道路で、本物のスピードで、危険なほどリアルに撮りたかったんだ」と監督は振り返る。
そして最後には、だれもが気になるあの質問も飛び出した――「『スピード3』はあるのか?」


撮影中に「特別な手応え」を確信した瞬間

ヤン・デ・ボン監督「かなり早い段階で『これはいける』と感じていた。キアヌとサンドラがチームとして動き、多くのスタントを自分たちでこなしているのを見たときだ。彼らの反応は作り物ではなく、実際にやっていることに対して本能的に応じた『本当の反応』で、それが作品を生き生きと、観客に『自分ごと』として感じさせる理由だ。さらに、楽しいセリフも多く、ほぼノンストップで進む。これは本物のアクションである。CGIは一切ない。すべてリアルで撮った」

監督デビューを射止めた経緯

ヤン・デ・ボン監督「この脚本は、パラマウントで『お蔵入りの山』に積まれていた中から見つけたものだ。だが自分には、この映画に無数の可能性が見えた。まさに自分が撮りたいタイプの映画で、出来事が途切れずに展開し、登場人物たちが狭い空間で結びつき、常にかかわり合う。スタジオのセットではなく、本物の場所で本当に撮れることが多いと感じた。実際、撮影は本物の道路、本物のスピードで、速く、危険なほどリアルに撮りたかった。バスが二輪走行するなら、実際に二輪で走らせる。オフランプに入るなら、実際に他の車にぶつかるのだ」

役を得られた理由

サンドラ・ブロック「当時の私は新人同然で、本当に緊張していた。オーディションの日のことは細部まで覚えている。会場に着いた瞬間、乗ってきた車、考えていたこと、扉、部屋の暗さ……。ここに来られてうれしかったし、わくわくしていたけれど、受かるとは思っていなかった。私がこの仕事を得られたのは、だれかが強く推してくれたから。それがすべてよ。実際、先に声がかかっていた人たちがいて、何人かは断った。『1人目も、2人目も、3人目も無理で、それで暗い部屋で私を見つけたのね』って、(ヤンに)そういう流れで私に回ってきたの」

(左から)司会のジム・ヘンピル、ヤン・デ・ボン監督、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre
(左から)司会のジム・ヘンピル、ヤン・デ・ボン監督、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre

いったん断った役を受けた理由

キアヌ・リーブス「第2稿、そして次の稿を読んで、『ああ、これは面白くなるかも』と思った。それから狂気の天才と会って、『やばい、これは本物の監督だ』ってね。明確なビジョンがあって、この物語への情熱もある。当時、一番刺さったのはヤンが『ダイ・ハード』の撮影監督だったことだ。『あれを撮ったのか、最高だ』って」

機材と体制(バス11台、カメラは二十数台

キアヌ・リーブス「名手の撮影監督が仕切っていたから、バスの手すりは小型カメラ用のレールになっていた。前方だけで22台並んでいたこともある。私が芝居をして、サンドラが運転して、その目の前にカメラがずらり。サンドラの手元用、私が振り向くショット用、頭上にも、足元にも」

(ここでサンドラ・ブロックが)「足元にはカメラはなかったわよ」とツッコんだ。

キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック、『スピード』(1994年)より 写真:Twentieth Century Fox
キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック、『スピード』(1994年)より 写真:Twentieth Century Fox

実はバスの運転免許を取得(撮影では運転せず)

サンドラ・ブロック「楽しかったのは、表向きは私が運転席にいること。ただ、実際は屋根の上の後方に運転手がいて、私はヤンが『ぶつけろ』と判断した場所へ連れて行かれたの。私は実際には運転していない。だけどサンタモニカでバスの運転免許は取得したのよ。本当に運転が難しい車両だったわ」

バスが飛ぶ発想は運転中に思いついた

ヤン・デ・ボン監督「フリーウェイを運転していて、路面の一部が欠けている区間を見つけた。そこで『このシークエンスの山場にできる』とひらめいた。それからスタントチームに相談して、どれくらいの速度でどれだけ飛べるか、計算を重ねた。バスはできる限り軽量化し、着地の衝撃が危険なため、ドライバーはほぼ座席から吊り下げられるような姿勢にした。このスタント専用の車両を用意して、いざ本番。私はスタントマンに『スピードが命だ、十分に出せ』と何度も優しく念押ししたのだが、初回はランプの直前で怖くなったのか減速してしまい、反対側に届かず、越えた先に並べた7台のカメラの上に落ちてしまった。バスは大破。『スタジオには言うな、絶対に言うな』と言った」

バス脱出の名場面で、キアヌに救われた「もう1つのこと

サンドラ・ブロック「私のドレスは生地が軽くて、下にはボディスーツを着ていた。リハーサルを始めると、風圧でスカートの裾が頭までめくれ上がることがわかったの。そこでキアヌの役目は、私にとって何より大事な『スカートを押さえる手の位置を保つこと』だった。私の安全を守るスタントに加えて、17フィート(約5.18メートル)の大スクリーンに映す必要のないものを見せないようにしてくれた。私の尊厳も守ってくれた。その日のことは忘れない」

キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre
キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック 写真:Jared Cowan for Beyond Fest at American Cinematheque at Egyptian Theatre

デニス・ホッパーという稀有な存在

キアヌ・リーブス「デニスは途方もないカリスマ性があって、役に全身全霊を捧げる人だ」
ヤン・デ・ボン監督「それに、ちょっとクレイジーでもある」
キアヌ・リーブス「そう。ちょっとぶっ飛んでるけど、徹底的なプロフェッショナル。突拍子もないセリフも多かったが、すべてが最高になった」

デニス・ホッパーと仕事をして驚いたこと

サンドラ・ブロック「普通という言葉は好きではないけれど、驚くほど肩の力が抜けた人だった。皆さんには奇人変人に見えたかもしれないけれど、私にはとても優しかった。デニスは本当にアートが好きで、語るのも、集めるのも、地元の作家を応援するのも大好きだった。人生をむさぼるように愛し、いつももっともっとと求めていた。キャリアの初期に、そんな非凡な人たちに囲まれて仕事ができたのは幸運だった。デニスと向き合うには、一度身を奮い立たせて役に飛び込む覚悟がいる。でも時折、デニスの膨大なフィルモグラフィが目の前で一気によみがえるような瞬間があった」

『スピード』(1994年)写真:Prime Video
『スピード』(1994年)写真:Prime Video

スピード』級ヒットの副作用

ヤン・デ・ボン監督「ヒット作を作ると、その後が難しくなる。現場は常に極限で、アクションが止まらないから、監督は撮了後もしばらく完全に消耗する。人生は変わる。企画のオファーは増える。それはすばらしい。しかし自分が本当に撮りたい新しいアイデアを見つけるのは、同時にとても難しくなる。私は監督するとき、自分を観客の側に置く。『いま劇場の観客として何を見たいか』と問い続けるのだ」

『スピード3』の可能性

サンドラ・ブロック「高齢者版よ。速くはならないわね」と冗談を飛ばしつつ、デ・ボンに目を向ける。「あの『緑がかったジャケットのクレイジーな男』がいたから、すべてが起きたのだと思う。いまは柔和で優しいけれど、私の記憶の中のヤンはちがう。観客が何を望むかを知り、それを皆に要求し、皆が応えた。そのエネルギーと発想の人よ。では、ヤンの頭脳と才能を本当に喜ばせる映画とは何か。皆に多大な覚悟が要るはず。いまの業界にそれを受け入れる勇気があるのかわからない。私の思いちがいかもしれないけれど。ヤンが『脳内の映画』を観客のために形にできないのなら、ヤン自身が納得しないはず。観客にとって『十分に良い』ものを私たちが作れるのかは、わからないから」

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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