【訃報】ジョージ・フォルシー・Jr.、85歳で逝去 『星の王子 ニューヨークへ行く』のプロデューサー

George Folsey Jr.
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『アニマル・ハウス』『ブルース・ブラザース』『星の王子 ニューヨークへ行く』『狼男アメリカン』などで映画編集者、プロデューサーとして活躍したジョージ・フォルシー・Jr.氏が85歳で死去したことがわかった。

フォルシー氏は肺炎の合併症により、日曜日にロサンゼルスで亡くなった。

父は13度のアカデミー賞ノミネートを受けた名監督ジョージ・J・フォルシー氏で、『ココナッツ』(1929年)、『アニマル・クラッカーズ』(1930年)、『何千人もの歓声』(1944年)、『若草の頃』(1944年)、『時計』(1945年)、『緑園の天使』(1947年)、『アダム氏とマダム』(1949年)、『水着の女王』(1953年)、『掠奪された七人の花嫁』(1954年)、『禁断の惑星』(1956年)などの作品に携わった名監督。


代表作品

ジョージ・フォルシー・Jr.氏は、ショーン・レヴィ監督の『チアーズ!』(2003年)、『ピンクパンサー』(2006年)、イーライ・ロス監督の『ホステル』(2005年)、『ホステル2』(2007年)の編集も手掛けた。

また、ランディス監督の長編デビュー作『シュロック』(1973年)の編集を担当したのを皮切りに、『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977年)、『アニマル・ハウス』(1978年)、『ブルース・ブラザース』(1980年)、『星の王子 ニューヨークへ行く』(1988年)などを編集し、プロデューサーも務めた。

ランディス監督の『狼男アメリカン』(1981年)、『大逆転』(1983年)、マイケル・ジャクソンの名作ミュージックビデオ『スリラー』(1983年)、『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983年)、『イントゥ・ザ・ナイト』(1985年)、『スパイ・ライク・アス』(1985年)、『サボテン・ブラザース』(1986年)のプロデュースにも関わった。


トワイライトゾーン事故と裁判

『トワイライトゾーン/超次元の体験』撮影中、ベトナム戦争を再現したシーンで起きたヘリコプター事故により、俳優のヴィック・モロー(53歳)と子役のマイカ・ディン・レ(7歳)、レネー・チェン(6歳)が亡くなる悲劇が発生。この事故は1982年7月23日に深夜の撮影中に起きた。

1987年5月、フォルシー氏、ランディス監督ら5人は過失致死罪の容疑で起訴されたが、9か月に及ぶ裁判の末に無罪判決を受けた。

「陪審員は裁判の最後に開かれた記者会見にて、『事故だと判断した。なぜ事故を起訴するのか理解できない』と言いました」とフォルシー氏は、プロデューサーで作家のケヴィン・ゴーツ氏とのポッドキャスト『Don’t Kill the Messenger』で最近振り返っていた。


生い立ちとキャリア

ジョージ・ジョセフ・フォルシー・Jr.氏は、1939年1月17日ロサンゼルス生まれ。母アンジェルは専業主婦、父はMGMで長く撮影監督を務めた。

「父のセットを訪ねるのが本当に楽しみでした」と彼は語っていた。「ジュディ・ガーランド、ミッキー・ルーニー、ラナ・ターナー、エスター・ウィリアムズに会いました。特にエスターにはとても憧れていました。ブレントウッドの家のプールで水泳のレッスンをしてくれたんです。素晴らしい子供時代でした。」

大学卒業後、ロサンゼルスのKABC-TVに就職し、ドキュメンタリーやニュース映像の編集を担当した。その後MGMでオスカー受賞編集者ヘンリー・バーマン氏の助手を務めた。


家族

父ジョージ・J・フォルシー氏は、1919年から1976年までのキャリアで約160本の映画に携わり、1988年に90歳で亡くなった。

ジョージ・フォルシー・Jr.氏の遺族には、妻ベリンダ、娘エリン、娘婿ダグ、息子ライアン、息子の妻エリカ、そして孫娘のルシア、クロエ、ヘイゼルがいる


※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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