ブリット・マーリング、ドラマ『The OA』続編の可能性を語る「ファンの願いに応えたい」

ブリット・マーリング 写真: COURTESY
ブリット・マーリング 写真: COURTESY

Netflixの大ヒットドラマ『The OA』を手がけたブリット・マーリングが、米『ハリウッド・リポーター』のインタビューに登場。

“宮崎駿作品ファン”を公言するマーリングが、2シーズンで打ち切られた『The OA』への思いから、米脚本家組合賞(WGA賞)にノミネートされた新作ドラマ『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』(Disney+で配信中)に至るまで、たっぷりと語ってくれた。

※初出は、米『ハリウッド・リポーター』(4月10日号)。

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ー 業界の現状に、うんざりすることはありますか?

(この業界は)出口のない密室のように感じることがあります。そんな状態になるたびに、誰かが壁に穴を開け、窓を作り、しばらくの間物語にエネルギーが蘇るのです。

初期のストリーミング時代は、作品が広告収入に制御されず、ただ存在することができました。なので、『The OA』の制作には本当に自由がありました。

今、その窓は閉じてしまったと思いますが、エネルギーは再び蓄積されていて、誰かがまた壁を打ち抜き、私たちは新たな開口部に殺到するでしょう。

“創造性は、常に道を見つける”と考えるようにしてきました。そうしなければ、ベッドから出るのが辛くなってしまいます。

ー 未完の『The OA』を抱えるなかで、『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』を“完走した”と感じたのはいつですか?

作品のプロモーションが収まり始めると、新たなストーリーが思い付きます。それがいつ起こるかは、いつも分かるんです。

朝3時に目が覚めて、夢やアイデアを思い出し、それを失う前にパソコンに書き留めます。今取り組んでいる長編映画は、1週間ほどでまとまりました。こういったアイデアは、無意識から来るものだと思います。

ー『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』のストーリーにおいても、同じ体験をされましたか?

ビル(ハリス・ディキンソン)とダービー(エマ・コリン)のラブストーリーがそうでした。まるで波のように、私の元にやって来ましたね。連続殺人犯による未解決事件を追うロードトリップの過程で、2人は恋に落ちるのです。

本当にスラスラと書けたシーンの一つは、砂漠の中でビルとダービーがアマチュア探偵としての情熱や、いかにして愛がテクノロジーによって形作られているかについて会話をするシーンでした。

ーエマとハリスの起用が決まった後、2人のキャラクターは変化しましたか?オリジナルの脚本との違いはありますか?

これまでの脚本の多くは、自分で演じるために書いてきました。一方で、本作の場合は監督に集中したかったので、主役を演じるつもりはありませんでした。

最初は、役者を想定しながら取り組んでいました。しかしそのやり方では、ページ上できちんと描写する代わりに、役者のカリスマ性頼みになってしまうことがよくあるという記事を読みました。「彼らが演じれば素晴らしいだろう」と思って、俳優の超新星のようなエネルギーを借りることになるのです。

エマと初めて対面したとき、その超自然的な貫禄と深みに非常に感銘を受けました。

マーリング、エマ・コリン、『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』より 写真: Chris Saunders/FX
マーリング、エマ・コリン、『マーダー・イン・ザ・ワールドエンド』より 写真: Chris Saunders/FX

ー「マーダー~」のリリース前に、成功というものがどんな意味を持つことになるのかに対し、特別な期待感はありましたか?ドラマのキャリアにおいて、どんなことに達成感を感じますか?

この業界では今や、誰も成功をどう定義すればいいのか分かっていません。金融モデルが壊れていて、ストライキでも解決できなかった媒体で活動するのは非常に興味深いですね。

一方で、それはまた解放的でもあります。なぜなら、自分自身の尺度で、成功とは何かを自問しなければならないからです。

私にとってこの新作の本質は、人と話すときに感情的に何を感じるかということです。何かが視聴者に入り込んで心を動かしたのなら、「よし、目的は達成できた」と思いますよ。

ー あなたの作品は、ファンの間で話題になっているようですね。そうした反応の輪の一部になることに、プレッシャーを感じますか?

私は、同世代の人たちや、特に若者たちが行っているような関わり方が得意ではありません。SNSと自然な関係を築くのが得意ではないんです。

『The OA』のファンの方々が続きを望む声は、本当に誠実で、その願いに応えたいと思っています。業界の状況が整い、機会が生まれた場合は、物語の残りの部分を完全に描き切りたいと思います。

私自身は少し内気な面もあって、一対一の会話は得意なんですが、もっとファンと上手く関われるようになりたいですね。

ー結局は、それがあなた自身を守っているのかもしれません。この業界には、オンラインでの承認と現実世界を分けられない人がいます。それは危険な坂道になりかねません。

非常に才能ある脚本家の友人が、物議を醸す内容を執筆したとき、オンラインで激しい反発を呼びました。友人は、参ってしまっていましたね。

一方で、それは別世界のようなものです。今すぐにパソコンを閉じれば、問題は存在しなくなります。

デジタルの世界では、ごくわずかな人間の意見が、町の広場で野菜を投げ付けてくるような10万人もの人々の叫びに聞こえてしまうのです。

聴衆の少なくとも10%を憤慨させないようにする芸術作品の作り方なんて分かりません。唯一私の関心を引く芸術は、あまりに過激だったり、フェミニスト的だったり、システムに対して批判的だったりします。

すると一部の人々からは、「一体あいつらは何様だ」という感じの反応が必ず出てきます。しょっちゅう、そういった反応を受け取っていますよ。

ー 人は大金持ちになっても、良い人でいられると思いますか? 道徳的な億万長者というのは存在するのでしょうか?

大学時代に、マリリン・モンローについての論文を読んだことがあります。有名人になると、あなたに対する周りの人々の扱い方が原因で、真の人間関係を築くことができなくなると指摘されていました。それが、その人の世界との向き合い方を変えてしまうのですが、ある意味では本人の責任ではありません。

億万長者に関しても、同じだと感じます。彼らは世界の多大なる資源を握っているので、接する人々との関係はどうしても複雑にならざるを得ません。

そのような資産に値する貢献をしていると思いたいところですが、現実はそうではありません。完全な人間性を保ち続けることは、極めて大きな権力を持った立場からは難しいのではないでしょうか。

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※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。編集/和田 萌

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