名作『ジョーズ』50周年、スティーヴン・スピルバーグが「監督人生の終わり」を覚悟した波乱の撮影秘話

映画界の巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が、代表作『ジョーズ』の制作について公開から50年が経った今、衝撃の告白を行った。当時27歳だったスピルバーグ監督にとって、この撮影は「最後の監督作品になる」と思うほどの困難な経験だったという。
50年前、『ジョーズ』撮影の悪夢とは
スピルバーグ監督は、ナショナルジオグラフィック制作のドキュメンタリー『独占!『ジョーズ』50周年:スピルバーグが語る伝説の裏側』のワールドプレミアに向けたビデオメッセージで、1974年夏の撮影現場を振り返った。
「普通であれば、マーサズ・ヴィニヤード島での夏は夢のような時間のはずだ。しかし予算超過とスケジュール遅延、そして私自身が手に負えない状況にあった1974年の夏は、人生最高の夢となる前の悪夢だった」と当時の状況を語っている。
撮影地にマーサズ・ヴィニヤード島を選んだのは、機械仕掛けのサメを本物の海で泳がせたいという監督の強いこだわりからだった。しかし、この判断が後に大きな困難を招くことになる。
機械仕掛けのサメとの格闘
撮影で最も苦労したのは、メインキャラクターである巨大なサメの機械装置だった。スピルバーグ監督は「これまでに共演したどのスターよりも扱いにくかった」と語っている。
海水による機械の故障、天候不良、技術的トラブルが相次ぎ、撮影は当初の計画を大幅に上回る困難に直面した。27歳という若さで大作映画を任された監督にとって、これらの問題は想像を超える試練となった。
予算・撮影期間3倍の大混乱
制作費は当初の予算から3倍の900万ドル(現在のレートで約13億円)に膨れ上がり、撮影期間も55日間の予定が159日間にまで延長された。この異常事態により、スピルバーグ監督は「ジョーズが最後の監督作品になると思った」と振り返っている。
ハリウッドでは予算とスケジュールの管理は監督の重要な責任とされており、大幅な超過は監督生命に関わる深刻な問題だった。若い監督にとって、この状況は絶望的に見えたに違いない。
世界的成功が救った監督人生
しかし、1975年の劇場公開で『ジョーズ』は世界的な大ヒットを記録した。スピルバーグ監督は世界中の観客が「救命ロープを投げてくれた」と表現し、マーサズ・ヴィニヤード島で沈みかけたキャリアを救ってくれたと感謝している。
作品の成功には、ジョン・ウィリアムズが作曲した印象的な2音のテーマ曲も大きく貢献した。このシンプルながら緊張感を煽る音楽は、見えない捕食者への恐怖心を刺激し、映画の緊張感を高める重要な要素となった。
夏の大作映画の原型を創造
『ジョーズ』は現在のハリウッドにおける「夏の大作映画」というコンセプトの原型を作り上げた。この作品の成功により、夏季に大予算の娯楽作品を公開するという戦略が業界標準となった。
制作時の困難さとは対照的に、『ジョーズ』は映画史に残る名作として位置づけられ、スピルバーグ監督のキャリアの出発点となった作品である。
『ジョーズ』公開50年後の振り返り
スピルバーグ監督は50年経った現在でも、『ジョーズ』の制作体験について「私の全キャリアの中で最も圧倒的で、刺激的で、恐ろしく、でもやりがいのある経験だった」と語っている。
困難な制作過程を経て生まれた傑作は、現在でも多くの映画ファンに愛され続けており、映画史における重要な位置を占めている。
ドキュメンタリー『独占!『ジョーズ』50周年:スピルバーグが語る伝説の裏側』は2025年7月17、26日にナショナルジオグラフィックで放送予定。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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