【インタビュー】映画『五十年目の俺たちの旅』、主演&監督の中村雅俊にインタビュー!「自分の子どものように愛おしい作品」 50年のキャリアが導いた集大成
2026年1月9日に全国ロードショーとなる、映画『五十年目の俺たちの旅』で、主演&監督を務めた中村雅俊にインタビューをおこなった。
ドラマ『俺たちの旅』は、1975年10月から日本テレビ系で放送された青春群像劇。中村雅俊演じるカースケ(津村浩介)、秋野太作演じるグズ六(熊沢伸六)、田中健演じるオメダ(中谷隆夫)が繰り広げる人間模様は、当時の若者たちの共感を呼び、放送終了後も「十年目の再会」「二十年目の選択」「三十年目の運命」と続編スペシャルが制作されてきた。
そして今回、50周年を記念して20年ぶりに3人が再び顔を合わせる。主演の中村雅俊が初めてメガホンを取り、彼らの旅を銀幕へと移し替えた。脚本は、シリーズを通して執筆してきた鎌田敏夫。中村雅俊、秋野太作、田中健に加え、オメダの妹・真弓役の岡田奈々らオリジナルキャストも集結している。
【動画】映画『五十年目の俺たちの旅』 予告【2026.1.9公開】
今回、ハリウッドリポーター・ジャパンは、主演そして初の監督を務めた中村雅俊にインタビューを実施。映画化の経緯や監督としての挑戦、50年の歳月に重ねた自身のキャリア、そして“俺たちの旅”が今の時代に伝えるメッセージまで、たっぷりと語ってくれた。
『五十年目の俺たちの旅』が動き出した瞬間
ーーー今回、『五十年目の俺たちの旅』の映画化の話を最初に聞いたとき、率直にどう感じましたか。また、今回もやろうと思った決め手、その思いを教えていただけますか。
中村雅俊:話が来たときは、「来たか…!」という感じでした。10年後、20年後、30年後と2時間ドラマで続いてきた経緯もありますし、『俺たちの旅』はとにかく出演者もスタッフも、みんなが大好きな作品なんです。またやるとなれば、真っ先に手を挙げたくなる人がいっぱいいるくらい。そのぐらい特別な作品なので、「ついに来たな」という気持ちでしたね。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
監督として迎えた挑戦
---今回、監督を務めましたが、監督としてここは譲れなかったシーンはありますか。
中村雅俊:まず何よりも感謝したいのは、現場のスタッフもプロデューサーも、俺が「こうやりたい」と言ったことを快く受け入れてくれたことです。反対されるどころか、みなさんが俺の考えに真摯に向き合ってくれた。あれは本当に感謝しています。
少し苦労したのは脚本作りの段階ですね。脚本の鎌田さんの提案に対して、「いや、こっちの方が作品に合うんじゃないか」と話し合ったことは何度かありました。ただ、全体的にはとてもスムーズだったと思います。
監督というのは本当に大変で、「これはこうだ」と一つの答えを出して前に進まなければならない。数学なら1+1=2ですが、監督の場合は1+1=3になることもあって、その3が正解になるよう、すべてを背負う必要がある。迷いもありましたし、正しいのかどうか確信が持てないまま進む孤独もありました。それでも奮い立ちながら、1年間ずっと映画のことを考えていましたね。貴重な体験でした。

完成を前に湧く達成感と不安という初めての感情
---引き続き監督を務められたということでお話を伺いたいんですけれども、今までの作品、この『俺たちの旅』に関わった時間よりもかなり長く、(監督として)この映画の製作に関わり、ついに1月公開ということで、今率直にお気持ちを。
中村雅俊:まだ公開前ですが、やるべきことはやったな、という気持ちです。本当にいろんな工程をひとつひとつクリアして、かなり大きな山を越えた感じがあります。そして、これまでにない気持ちもあって…。「お客さん、来てくれるのかな」という、単純な不安に似たものがふっとよぎるんです(笑)。監督として100回以上も観ていますから、目を閉じれば次のカットも全部浮かぶぐらい。まるで子どもを産んだような感覚と言うと大げさですが、それくらい愛おしくて、どう受け止めてもらえるのか気になりますね。
受け継いできた演出の精神
---監督としてのこだわりの一つとして、セリフだけではなくて実景などから心象を描き出せたらというようなことをおっしゃられていましたね。
中村雅俊:50年前のシリーズでもそうでしたし、10年後、20年後、30年後のスペシャルを撮られた斎藤監督(故・斎藤光正さん)も、そこを大事にされていました。最初は手探りで1、2話撮っていましたが、だんだんと「『俺たちの旅』はこういう空気なんだ」と感覚でつかめるようになっていきました。今も斎藤さんが演出したらこうするだろうな、というのは意識の中にずっとあります。セリフだけではない、別の映像が語る世界。それは強く意識していましたね。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
山奥へ総勢でロケへ。「大変さ」を超える楽しさ
---ロケ地に何度も足を運ばれたとお伺いしました。
中村雅俊:監督って、そういうものだと思っていました(笑)。監督だけじゃなく、カメラマン、照明、美術…ワンボックスカーに詰め込めるだけ乗って、行くのはほとんど山奥。都内から2時間かかるような場所ばかりで、「クマ出没」の看板もありましたよ。現場に着いたら、その場で芝居のイマジネーションを膨らませる。スタッフはそれぞれの作業をしながら、俺も限られた時間で構図などを決めていく。大変なんですけど、その大変さをみんなで乗り越えるのが楽しいんですよね。知らないことを知る喜びもありましたし、編集作業の時も「今、自分はすごく楽しいことをやっているんだな」と実感していました。全体を通して、楽しい時間でした。
鎌田敏夫の脚本は「セリフがキャッチコピーのように輝く」
---中村さんからご覧になって、鎌田さんの脚本の魅力っていうのは、なんでしょう。
中村雅俊:まず、ストーリーが人とは違うなと感じますね。そしてやっぱり、登場人物がとても魅力的に見える脚本なんですよ。セリフがね、本当にいいんです。キャッチコピーのようにスッと刺さる言葉が自然と出てくる。それを言う人物まで素敵に見えてくる。
俺はデビューから10年ほど鎌田さんの脚本で育ててもらいましたし、本当に出会いが良かったと思います。鎌田さんは今も白いシャツにジーンズ姿が似合う、88歳とは思えないほどかっこいい方です。口下手なのに、書くセリフはあんなにかっこいいんですから(笑)。とても素敵な人です。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
非常識を貫いて生きる姿。その切なさこそ『俺たちの旅』
---『五十年目の俺たちの旅』というタイトルには、半世紀という大きな時間の流れが込められています。ご自身の50年間を振り返ってみて、この作品にどう重ね合わせますでしょうか。
中村雅俊:そうですね。ちょうど去年がデビュー50周年で、自分の足跡をたどるように、これまでどんな作品に関わってきたのかを初めて本格的に振り返ったんです。そうしたら、自分でも「俺、意外といろいろやってるな」と思いまして(笑)。改めて調べてみると、それが前に進むための“発進力”にもなって、「こんなにやってきた人って、実はあまりいないんじゃないかな」と感じたりもしました。
たとえば『俺たちの旅』もそうですが、連続ドラマの主演が34本もあったんですよ。1年に1本主役をやるとしても、34年かかるわけですよね。これはなかなかすごい数字じゃないかと。コンサートも、もう1600回を超えました。そうやって数字を並べていると、自分でもすごい自慢態勢になっちゃうんです(笑)。「結構やってんじゃん!」みたいな感覚もあって。でも、たまにはそうやって自分を褒めるのもいいなと思いました。そんなふうに、去年は自分の歩みをいろいろリサーチしてみて、とても楽しい時間でしたね。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
---いろいろやってこられて、自慢態勢だとおっしゃってましたけど、今後やりたいこと、挑戦したいことはありますか。
中村雅俊:「次は絶対これ」と強く決めているものは、実はあまりないんです。ただ、自分の中で特によかったなと思っているのは、外国映画に出演した経験ですね。これまで3作品ほど出させてもらったんですが、1本目のときは、1カ月半くらい現地に滞在しっぱなしで、ずっと英語で芝居をしていたんです。それがまた結構楽しくて。マネージャーも通訳もつけずに、一人で現場に飛び込んでいったんですよ。
普段とはまったく違う環境の中で、「自分で何とかしなきゃ」「がんばらなきゃ」という気持ちが常にありましたし、できあがった作品をDVDで観たときには、「ああ、自分でもいつになくがんばってるな」と思いました。デビュー以来ずっと日本のドラマの現場でやってきたのとはまったく違う経験で、それが本当に楽しかったんです。もしまたチャンスがあるのなら、オーディションでも何でも受けて、そういう作品に挑戦してみたいという気持ちは、今もありますね。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
ーーーその海外の現場には、お一人で行かれて?英語も独学で対応されたのでしょうか。
中村雅俊:大学時代にESSという英語劇のクラブにいたんです。英語で芝居をするのが中心のセクションで、その経験が後に生きました。当時、英語劇のディレクターだった奈良橋陽子さんに褒められたのがきっかけで、勢いで文学座を受けてしまったんですよ(笑)。非常に高い倍率でしたが、受かってよかったです。受かってなきゃ今の姿ないですもんね。あの時の勢いは大事だったと思います。
ーーー『俺たちの旅』は、理不尽さに立ち向かって、傷ついた人間らしさやピュアさを大切にしていたドラマでした。そのメッセージ性を今の世代に、今回『五十年目の俺たちの旅』でも、友情とか時間の経過といったテーマが描かれていると思うのですが、その当時と比べて、今の時代にどう響くか、どのようなメッセージを伝えていきたいかというのがありますでしょうか。
中村雅俊:そうですね、まず時代が違うというのは大きくて、若者の気質も当時とはだいぶ変わったように感じます。50年前の『俺たちの旅』は、常識や正義とされていたものにあえて逆らう、いわば“非常識な若者たち”の物語でした。就職が非常に難しく、みんなが「いい会社に入る」ことを目標にしていた時代に、「そんな会社に入らなくてもいい、自分のやりたいことをやって生きればいい」と貫く姿が、多くの人に響いたんだと思います。視聴者は本当はそうしたかったし、そこに憧れがあった。
でも同時に、彼らは挫折も繰り返して、生きる切なさや苦しさも抱えていた。それが作品の魅力でもありました。青春ドラマでありながら、明るさだけでなく影の部分も描いていたのは、人を好きになること、友情、人生をどう生きるかといった普遍的なテーマを扱っていたからこそです。これは今の時代にも通じるものだと思います。もちろん、同じメッセージをそのまま今の若者にぶつけても響かない部分はあるかもしれません。でも、若者たちが何かに夢中になるという感覚は、時代が変わっても同じ。ゲームでも何でも、自分が燃えられるものがあるなら、それはとてもいいことだと思うんです。

©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
ーーー普遍的なテーマとして、何かを大切にしてほしいと感じますか。
中村雅俊:そうだと思います。『俺たちの旅』風に言えば、こうした普遍のテーマには、やっぱり真正面からぶつかってほしい。人生をどう生きるのか、男同士の友情をどう築いていくのか、そういったことから目をそらさずに、自分なりの答えを探してほしいんです。友情や愛情、そして「人生をどう生きるか」という問いは、いつの時代でも変わらないテーマですからね。どんな世代にとっても、必ず向き合う瞬間が訪れるものだと思います。
ーーー50年間経ってもこの作品が愛され続けているのはすごいことだと思います。先ほどもおっしゃったように、連ドラ34本主演作があったり、1600回もコンサートされて、50年間この業界で第一線で活躍し続けてこれたヒケツや、大事にしてきたことはありますか。
中村雅俊:ヒケツがあるなら、むしろ俺の方が教えていただきたいくらいですよ(笑)。ただ一つ言えるのは、自分に対しても、人に対しても、ウソをつかないようにしてきたということです。どんな相手に対しても、どんな仕事に対しても、できるだけ正直に、まっすぐに向き合ってきた。それははっきりと言えます。
もちろん、それでうまくいかなかったこともたくさんあります。でも、「それでいいんだ」と信じてやってきました。まだまだ人生は続きますが、少なくともここまでの道のりを振り返ると、その生き方で良かったのかな、と今は思っていますね。

<映画『五十年目の俺たちの旅』作品情報>
- 出演:中村雅俊、秋野太作、田中健、前田亜季、水谷果穂、左時枝、福士誠治、岡田奈々
- 原作・脚本:鎌田敏夫
- 監督:中村雅俊
- 主題歌:「俺たちの旅」歌:中村雅俊
- 配給:NAKACHIKA PICTURES
- 公開日:2026年1月9日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
©「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
【関連リンク】
映画『五十年目の俺たちの旅』公式サイト: https://oretabi50th-movie.jp
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