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名ラジオ俳優ペギー・ウェッバーが100歳で死去――オーソン・ウェルズやヒッチコック作品に出演、日本に住んだ時期も

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名ラジオ俳優ペギー・ウェッバーが100歳で死去
ペギー・ウェッバー=1955年 写真:CBS via Getty Images
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オーソン・ウェルズやアルフレッド・ヒッチコックの作品に出演した名脇役で、数千本に及ぶラジオ番組で活躍した俳優ペギー・ウェッバーが100歳で死去した。息子ロブ・シンスキー氏が米『ハリウッド・リポーター』に明かした。

シンスキー氏によれば、ウェッバーは現地時間8月15日(土)、カリフォルニア州ナパの高齢者向け住宅施設で自然死したという。ウェッバーは2025年1月のロサンゼルス山火事で自宅から避難し、北部のナパへ移り住んでいた。

ウェッバーは、ジャック・ウェッブ演じるジョー・フライデー刑事で知られるラジオドラマ『ドラグネット』(1949~1957年)のパイロット版に出演し、後にフライデーの母親役を長年にわたって演じた。また、オーソン・ウェルズ監督・主演の『マクベス』(1948年)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『間違えられた男』(1956年)などの映画に出演した。

数多くのスターとラジオで共演し、後に人気ラジオコメディ『Our Miss Brooks(原題)』(1952~1956年)につながる番組を手がけたほか、映画『悲鳴を上げる頭蓋骨』(1958年)では主演を務めた。

名優ペギー・ウェッバー死去――11歳でラジオの世界へ、“変幻自在の声”で数千本の番組に出演

1925年9月15日、テキサス州ラレドに生まれたウェッバー(本名:マーガレット・ウェッバー)は幼い頃から芸能活動を始め、サイレント映画の上映中に幕間の演技を披露。11歳になると、サンアントニオでラジオの仕事を始めた。

高校在学中には自身のラジオ番組に出演しつつ、1942年に16歳で高校を卒業。父親が亡くなると、ウェッバーは母親とともにハリウッドへ向かった。

到着したその日にアポなしでCBSを訪れ、そこで後に『アイ・ラブ・ルーシー』(1951~1957年)の脚本家となるボブ・キャロルと出会った。キャロルの助けを借り、オーディションを受けることになったという。数日後のオーディションでは一人で複数のキャラクターを演じ、マーサ・レイ、シャーリー・テンプル、ステピン・フェチットらのものまねを披露した。

その場で採用が決まり、最初の仕事には『シャーロック・ホームズの冒険』への出演や、CMでのイングリッド・バーグマンの代役などが含まれていたという。

その後、ウェッバーは生涯で数千本のラジオ番組に出演した。1944年にはラジオドラマ版『カサブランカ』に出演し、映画版(1942年)でイングリッド・バーグマンが演じたイルザ役を担当した。

1949年には、ジャック・ウェッブが手がけた刑事ドラマ『ドラグネット』のパイロット版をはじめ、同シリーズでウェッブ演じるジョー・フライデー刑事の母親役を、長年にわたって演じた。ウェッバーは『ドラグネット』で100本以上のエピソードに出演した。

1952年に『ドラグネット』がテレビシリーズ化されると、ウェッバーは複数のエピソードにゲスト出演。1967年にシリーズが復活した後も出演し続けた。

その後は『The Girl of the Limberlost(原題)』で主演を務めたほか、数々の人気ラジオ番組で存在感を示した。

1946年8月には、米『タイム』誌がウェッバーを特集。その記事では、「彼女は変幻自在の声で、3年間で150種類ものキャラクターを演じ、約2,500本のラジオ番組に出演した」と紹介された。

映画・テレビ界でも活躍、オーソン・ウェルズやヒッチコック作品に出演

ラジオで幅広く活躍していたウェッバーは、オーソン・ウェルズとも共演している。映画『マクベス』では、レディ・マクダフ役を演じた。

ウェッバーによれば、ウェルズからは「従来型のレディ・マクダフは演じてほしくない。もっと華やかな若い人物として演じてほしい。年齢は21歳くらいのつもりで」と伝えられたという。ウェルズが望んだ通りスコットランド訛りで演じたところ、「それだ」と言われ、役を勝ち取った。

ウェッバーは約3年にわたって『マクベス』に携わった。ジャネット・ノーラン演じるレディ・マクベスをはじめ、複数の登場人物の吹き替えも担当した。

アルフレッド・ヒッチコック監督の『間違えられた男』では、ミュージシャンのマニー・バレストレロ(演:ヘンリー・フォンダ)が強盗犯だと勘違いし、物語が大きく動き始めるきっかけとなる保険会社の事務員ミス・デナリー役を演じた。『間違えられた男』は、ヒッチコック作品の中で唯一、実話を題材にした作品としても知られている。

1958年には、カルト的人気を誇るホラー映画『悲鳴を上げる頭蓋骨』で主演を務めた。同作では、夫エリック(演:ジョン・ハドソン)の前妻が謎めいた死を遂げた屋敷へ引っ越してきた新妻ジェニー・ホイットロック役を演じている。劇中では、前妻の死をめぐる不可解な出来事がジェニーを追い詰めていく。

同作はヒッチコック監督の『レベッカ』(1940年)を思わせる設定を取り入れていた。また、制作・配給のアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが「本作を見て恐怖のあまり死亡した観客には、無料で葬儀を行う」というユニークな宣伝を行ったことでも知られる。

1940年代半ばには、教師を主人公とするシットコム『Oh, Miss Tubbs(原題)』の脚本を執筆し、ニューヨークのCBSへ送った。しかし、同局はこれをもとに、よく似た設定のラジオコメディ『Our Miss Brooks』を制作したという。

ウェッバーは訴訟を検討したものの、顧問弁護士から「CBSを訴えれば同局から二度と仕事を得られなくなる」と告げられたと振り返っている。

また、古典文学作品を映像化する番組『Treasure of Literature(原題)』の脚本・制作を手がけた。この番組により、1949年に開催された第1回エミー賞にノミネートされている。

生涯をラジオに捧げる――制作・運営にも尽力

1970年代後半からは『Sears Radio Theatre(原題)』の制作に携わった。1984年には「カリフォルニア・アーティスツ・ラジオ・シアター(CART)」を設立。シェイクスピア、ルイス・キャロル、ジョージ・バーナード・ショー、オスカー・ワイルドらの作品をラジオドラマとして復活させたほか、現代作品の脚色も手がけ、自ら製作・演出を務めた。

また、『アダムス・ファミリー』で知られる俳優テッド・キャシディとともに、サンタモニカでレストラン兼パフォーマンス会場「The New Hope Inn」を共同経営。『ギリガン君SOS』(1964~1967年)のボブ・デンバーらが所属する劇団も運営していた。

プライベートでは1951年にロバート・シンスキー氏と結婚したものの、1967年に離婚。1952年には、シンスキー氏が原爆傷害調査委員会(ABCC)で研究職に就いたことに伴い、日本へ移住した。

1983年には、アイルランド出身の俳優ショーン・マクローリーと再婚。マクローリーは『静かなる男』(1952年)やディズニー映画『小びとの森の物語』(1967年)などに出演し、2003年に死去するまでウェッバーと結婚生活を送った。

ウェッバーは、90歳を目前にした2015年にもラジオの仕事を続けていた。同年の米『L.A.ウィークリー』誌のインタビューでは、自身が長年ラジオに携わってきた理由について、こう語っている。

「若い頃から、ある種の献身的な姿勢を持ち続けてきました。その気持ちこそが、今日まで私を支え続けてきたんです。これは子どもを持つこと、小さな子どもの世話を託されることと似ています。これまで与えられてきた機会に対して、常に同じような責任を感じています」

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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