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【ネタバレあり】『花緑青が明ける日に』で長編映画デビュー!四宮義俊監督が語る、花火に込めた想いと新海誠の影響

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映画『花緑青が明ける日に』四宮義俊監督インタビュー
映画『花緑青が明ける日に』 写真:A NEW DAWN Film Partners
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【※本記事はアニメーション映画『花緑青が明ける日に』のネタバレを含みます。】

新作アニメーション映画『花緑青が明ける日に』で長編監督デビューを果たした四宮義俊は、一般的なアニメ監督とは異なるキャリアを歩んできた。日本画家として活動しながら、新海誠監督や片渕須直監督作品に参加し、独自のビジュアルで世界観を確立している。

四宮が得意とするのは、光や水の質感、そして記憶と風景の間を漂うような、アニメ特有の繊細な表現だ。新海監督の代表作『君の名は。』(2016年)では、特徴的なビジュアルの回想シーンを監修した。片渕監督の『この世界の片隅に』(2016年)では、劇中に登場する水彩画を四宮が手がけている。また、CMやミュージックビデオなど多様な映像作品を手がけ、着実に評価を積み上げてきた。

そんな四宮が長年の構想期間を経て、ついに初のオリジナル長編アニメーション映画『花緑青が明ける日に』を完成させた。本作は、第76回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に正式出品された。

本作は、花火作りを家業とする帯刀(おびなた)家の敬太郎(声:萩原利久)とその兄・千太郎(声:入野自由)、そしてカオル(声:古川琴音)という幼馴染の3人が、再開発により立ち退きを迫られた花火工場を守るために奔走する姿を描く。蒸発した帯刀家の父・榮太郎(声:岡部たかし)に代わり、3人は幻の花火「シュハリ」を完成させ、打ち上げる計画を立てる。

成長物語として描かれる本作は、「継承と別れ」、「環境問題と伝統文化の衝突」といった問題を扱い、次第に多面的な展開を見せていく。

四宮による技巧的な手描きアニメーションは、まるでデジタルアニメーションの滑らかさに抗うように、独自の質感をもたらしている。それはまさに、本作のテーマでもある「職人技」や「儀式」、そして「古き良き文化」を反映している。

米『ハリウッド・リポーター』はベルリン国際映画祭に先立ち、四宮にインタビューを敢行。本作の着想を得たきっかけから、本作の核をなす「シュハリ」が意味するもの、そして新海監督から学んだことまで深掘りした。

四宮義俊監督
四宮義俊監督 写真:Youji Shimizu

日本画家から映画監督へ――四宮義俊が新海誠から受けた影響とは?

――まず、新海誠監督から受けた影響について教えてください。

私は基本的に日本画家ですが、新海さんはどこまでも「映画監督」です。新海さんはあらゆるものを娯楽として昇華させる、類まれな才能を持っています。新海作品はまず映像のクオリティが目を引きますが、よく見るとカット割りや映像の繋ぎ方もすばらしいです。その「リズム」の精度は、むしろ映像そのものより重要なのかもしれません。

私は以前、アニメーションは映像の力だけで成り立つと思っていましたが、新海さんのバランス感覚から多くのことを学びました。

『君の名は。』
『君の名は。』写真:Toho

――作中に登場するタヌキは、ジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)へのオマージュでしょうか?他にもいくつかのテーマが本作と共通していると思いました。

私は『平成狸合戦ぽんぽこ』が大好きですが、これは意図的なオマージュではなく、無意識に影響を受けたものだと思います。アニメにタヌキを登場させると、必然的に『平成狸合戦ぽんぽこ』を連想させます。また、どちらの作品も環境問題を扱っているので、親和性が高かったのでしょう。

『花緑青が明ける日に』誕生のきっかけは「故郷の海が消えた実体験」

――『花緑青が明ける日に』の着想を得たきっかけと、創作面での進化について聞かせてください。

自身の監督作品について以前から準備を進めていましたが、直接的なきっかけは2016年頃でした。アトリエの前にあった空き地が突然、太陽光パネルで覆われてしまったんです。私にとって、その光景は受け止めきれないものでした。

しかしある時、その光景を見た娘が「あれって海?」と聞いてきたんです。その言葉を聞いた瞬間、「子どもはこういう風に見ているんだな」とハッと気づかされました。子どもは、大人には想像もできないような風景を想像しています。それは私にとって深い意味を持つ出来事でした。

この映画の舞台のモデルとなった街は、私の故郷です。そこは海辺の街ですが、海が埋め立てられてしまった時期がありました。あれほど親しんでいた海辺が、ある日突然消えてしまったんです。その時から、「実際にそこにあるもの」と「記憶の中のもの」や「想像上のもの」の乖離に、強く惹かれるようになりました。それを表現したいと思ったんです。

映画『花緑青が明ける日に』
映画『花緑青が明ける日に』 写真:A NEW DAWN Film Partners

――「家族の継承」「幼なじみとの絆」「都市の拡大と地方の過疎化」といった他のテーマは、どのように物語に組み込んでいったのでしょうか?

この作品の根幹にあるテーマは、「コミュニティがどのように存在し、変化していくか」ということです。小規模なものでは家族、大規模なものでは村や社会が「コミュニティ」にあたります。

そして今、新エネルギーや自然災害、地球温暖化といった問題が、日本の伝統や文化を蝕んでいます。良くも悪くも、私たちは変化を避けられない時代を迎えているのです。そうした中で、伝統や家族、コミュニティはどのように生き残れるか?ということが大きなテーマです。

私自身も地方で育ち、遠洋漁業という長年続く家業がありました。しかし私は家業を継がず、芸術の仕事を選びました。この作品には、一種の「清算」の意味、あるいは私自身がこの選択を肯定する意味が込められているかもしれません。

「守破離」の意味、そして花火が表すもの――「手作りにこだわりたかった」

――本作の中心的存在である花火「シュハリ(守破離)」は、非常に神秘的な意味を持ちます。観客に解釈を委ねたいのだと感じましたが、監督ご自身にとってどんな意味を持つのでしょうか?

「守破離」の概念は、武道や演劇、音楽、芸術の世界で伝統的に用いられてきました。その歴史はとても古く、16世紀の茶人である千利休が初めて用いた言葉だと言われています。

この3文字は、習得や学習の3つの段階を表しています。まず規則に従い(守)、次に規則を破り(破)、最後にそれを超越して手放す(離)。これは突き詰めれば、人間の成長の段階を表しているのです。この概念は、日本文化の多くの側面に影響を与えています。

「離」の段階では、親元やコミュニティ、専門分野などの、自分が生まれ育った場所から離れることになります。成長し、旅立ち、いつか帰ってくるかもしれません。本作では、主人公たちの成長を「守破離」の概念にたとえています。

――そうした奥深い概念を、一発の花火という形でどのように表現したのでしょうか?

花火というモチーフもまた、私の故郷と結びついています。2000年代初頭、長年続いてきた地元の花火大会が突如終わってしまいました。海が埋め立てられたのと同じ時期です。その時、人々が積極的に守っていかなければ、伝統はあっという間に消えてしまうのだと痛感しました。

「花火」には「花」という字が含まれますが、花は一瞬咲いてすぐに散ってしまいます。その儚さは、芸術表現と非常に親和性が高いのです。

本作は私にとって初の長編監督作品なので、自分が得意とする表現を前面に出したいと思いました。私は人物の描写より、手描きのエフェクトを得意としています。そうしたエフェクトはCGに置き換えられることも多いですが、本作では「人間の職人技」を前面に出しました。人の手で作ったものにこだわりたかったんです。

そして、映画を純粋な娯楽として考えた時、その根底にあるのは「音と光」です。このシンプルな2つの要素をストレートに、そして純粋に体現するために、花火は最適なモチーフでした。

映画『花緑青が明ける日に』
映画『花緑青が明ける日に』 写真:A NEW DAWN Film Partners

――「守破離」の概念を表現するために、花火という比喩を用いたのはなぜでしょうか?

本作において、花火師の父親が想像した形で花火を打ち上げることはできませんでした。それは、海が消えて環境が変わってしまったからです。では、元の環境を再現できない時、どのように技術を継承していくのか……。こうした苦境には、日本文化に携わる多くの人が直面するかもしれません。そして本作では、太陽光パネルが海の代わりに機能します。

これは、まさに「守り、破り、離れる」というプロセスを体現しています。以前とまったく同じではなくても、技術が進化する中で、本質は受け継がれていくのです。現代では環境問題の影響により、以前と同じ風景や環境を再現することはできません。では、次の世代はどのようにこの困難を乗り越え、伝統を尊重していくのでしょうか?

私はアーティストとして、反グローバリズムや共同体主義、リバタリアニズムによって緊張が高まっているこの世界のことを考えています。こうした世界の中で、芸術は何を生み出せるのか?調和を実現できるのか?芸術という手段を通じて、その一つの答えを示そうとしたのが本作です。

――本作の英題「A New Dawn(新たなる夜明け)」は希望に満ちており、新たなスタートを感じさせます。しかし、本作の結末はもっと曖昧で、どこかほろ苦いものです。監督は、この結末をどのように受け止めていますか?

この結末は、根本的にはポジティブな意味です。しかし私は、アメリカン・ニューシネマの余韻のある終わり方が非常に好きで、それを取り入れました。

コミュニティを離れた若者たちは、どこへ行くのだろうか?いつか戻ってくるのだろうか?地平線が開けていくような、映画が終わってもなおキャラクターの行方を考えてしまうような、そういうエンディングに惹かれるんです。そういった意味では、本作も観客に解釈を委ねるのが最高のエンディングだと考えました。


映画『花緑青が明ける日に』は全国の劇場で公開中。

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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