米マウイ島・ラハイナを襲った山火事: 生存者が語る惨状と生活再建

ラハイナ、8月14日撮影 写真: ©YANG PINGJUN/XINHUA VIA GETTY IMAGES

米ハリウッド・リポーターの元・音楽担当編集者で、現在はAMR SongsのCEOを務めるタマラ・コニフは、子供たちとともにラハイナの炎から必死に逃れた。復興が進められるなか、コニフは町の被害を食い止めるべく、現在取り組みを続けている。

私たちが最初にラハイナにやって来たのは、コロナ禍でした。息子のグレイソン(当時5歳)は非常に活発な子なので、自宅から出してあげる必要があったのです。私の父・レイはミュージシャンで、ハワイのコミュニティーと多くの交流を持っていました。こうして、私たちは隔離生活の数か月間を過ごすためラハイナに移住しました。友人と一緒に過ごし、息子は地元のサーフィン・インストラクター、ブリーおじさんに出会いました。ブリーとは家族ぐるみの友人となり、グレイソンにサーフィンを教えてくれました。現在8歳の息子にとって、水は幸せを与えてくれる場所なのです。

ラハイナには、どこか深くスピリチュアルなところがあります。強固な絆で結ばれたサーフィン、スケートボードのコミュニティーで、家族や近隣住民はみんなお互いを支え合っています。子供たちはタブレット端末を持たずに、外に出て海について知識を広げ、自然と一体になる方法を勉強しています。これがラハイナです。私たち家族は、ハワイの文化・コミュニティーを非常にリスペクトしており、この町がホームになりました。マウイは心を掴んでは離しません。

“ブリーおじさん”とグレイソン君 ©INFLATABLE FILM

私たちはワイネー・ストリートに住んでいて、8月8日の午後4時からハリケーンの風で停電が起きました。停電は頻繁に起こるので、珍しいことではありません。バーベキューをするため、いつものように自宅に15人ほど呼んでいました。午前中、火事の警報を受け取った人がいましたが、完全に鎮火したということでした。強風でフェンスや屋根の一部が壊れていました。それでも警報は出されず、鎮火を伝えられていたのに炎はすでにこちらに向かっていたのです。オハナ(ゲストハウス)に滞在していた友人が、「煙を見た」と言いに来て、家の裏手に向かうとたちまち火が庭に回っていました。子供たちを連れて、シャツだけを背負い、車を走らせました。

炎は物凄い勢いで近づいてきました。本道に辿り着くと車がずらりと一列に立ち往生し、管理する人もいませんでした。サイレン、警報、助けてくれる職員もいない。人々は走り回って、渋滞を脱する方法を必死に模索しました。電柱が道を塞いでいたのです。やっと通り抜けたとき、チェーンソーを手に電柱を切断している3人の姿が目に入りました。

私たちより数分遅かった人たちは、脱出することができなかったはずです。火はあっという間に燃え広がり、フロント・ストリート上の車は身動きが取れず、焼けてしまいました。水に飛び込む人もいて、フロント近くに住む友人はゴルフカートで逃げました。完全なカオス状態でした。  

母親として、冷静沈着であるように努めました。息子に加え、2人の男の子を連れていましたが、ホームレスシェルターにいる彼らの両親の安否は分かりませんでした。避難所にもまた、火が回っていたのです。私の夫と娘は別の車に乗っていて、火がこちらに向かっているのを目の当たりにしながら、“みんな大丈夫だからね”と子供たちに言い聞かせました。“私たちは安全、私たちは安全。無事に切り抜けられる”とただ繰り返しました。そして、私たちは乗り越えました。

ラハイナから脱出した人々は午前3時、カフルイの「セーフウェイ」の駐車場に辿り着き、呆然と歩き回り、車中で寝たりしていました。公式な指示はないままで、何をすべきか分かっている人なんていません。地方当局側の完全なる致命的失態でした。ラハイナにはインフラ整備がありません。誰もがフロント・ストリートは観光地だと思っています。知られていないのは、数ブロック先には低所得者向け住宅、ホームレス・シェルター、代々受け継がれるハワイの家々が並んでいること。500万円の別荘じゃなくてね。地元住民はここで暮らしているのです。

翌日、すぐにサバイバルモードに入りました。人々が必要としているものに頭を巡らせました。小型飛行機、船、発電機、ガス、水、食べ物を確保し、いかにして一刻も早く必要とする人々に届けるか模索し、調整を重ねました。結局、供給品を運ぶためにトラックへ戻りました。まるで爆弾が爆発したようでした。建物は消え、方向感覚が完全に失われてしまいます。すべてが消えてしまった。すべてが灰と化し、焼失しました。警察や消防士の話によると、報告されている数より被害は大きいそうです。身元不明の遺体も非常に多く、死者数は数百人に跳ね上がるとみられています。今でもなお、捜索犬が遺体を探しています。

自宅やコミュニティーの家々は消滅しました。心が打ちのめされるのは、子供たちの寝室が焼き尽くされているのを目の当たりにしたこと。もし切り抜けられていなかったら、何が起こったかを想像します。もし夜に起きていたなら?物は物に過ぎません。大切なのは、生活、人、コミュニティー、復興、共助です。コミュニティー全体が一掃されてしまったのです。不動産屋の友人は、大手開発業者から“破壊された建物”の購入を求めるメールを何百通も受け取っています。主に先住民家族の家々で、彼らが追い出されないようにせねばなりません。ラハイナは、ラハイナの手の中にあるべきです。

私たちは必要とする家族に向け物資を購入し、金銭的支援を続けています。非営利団体“Mana Mentors”の共同設立者として、数か月後も復興支援が可能なように資金を募っています。すべてを失った子供たちのために、サーフボード、スケートなどの寄付も受け入れているところです。音楽フェス「ワープド・ツアー」の創設者、ケヴィン・リーマンをはじめとする数え切れない素晴らしい人々と協力し合っています。

子供たちはこのような悲劇への対処法が分からず、非常に辛い時を過ごしています。再び水やボードに戻れるようサポートし、幸せを与えてくれるものを彼らが手にできるようにしたい。私たちは自分たちの町を失いました。3歳の娘は状況をしっかり理解できていませんが、彼女はバニヤンツリーが大好きなんです。娘は言いました。「マミー、バニヤンツリーが元気になるようにハグしに行きたい。いつになったら、ツリーをハグできる?」

私たちはコミュニティーを復興するため、100%の力を注ぎます。ラハイナとその歴史を守りたい。この場所には、豊かなハワイの歴史があります。そして、実に多くの人々が価格高騰ですでに移住を余儀なくされています。もう、そんなことが起きて欲しくありません。この特別な場所が持つ美しさを守れる方法で、ラハイナを再建する必要があるのです。

映画制作会社Inflatable Filmは、家を失った子供たちにサーフィンとラハイナの真の姿を教えるブリーのミッションについてのドキュメンタリーを公開するところでした。物語の背景はもうコロナによる被害ではなく、この致命的な災害がもたらした破壊と子供たちがどう回復していくかということになります。ラハイナには、ラハイナの強さがあるのです。

“Mana Mentors”プログラムの若きサーファー、タイタン君 ©INFLATABLE
 FILM

※今記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら

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