『スーパーマン』ゾッド将軍から『プリシラ』まで――名優テレンス・スタンプ、87歳で死去

テレンス・スタンプ 写真:Dominique Charriau/Getty Images
テレンス・スタンプ 写真:Dominique Charriau/Getty Images
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英国俳優のテレンス・スタンプが日曜日(現地時間)、87歳で死去した。家族が米『ニューヨーク・タイムズ』紙に明らかにしたものである。

スタンプは、その端正な容貌で1960年代スウィンギング・ロンドンを体現し、『奴隷戦艦』(1962年)、『スーパーマン』(1978年・カメオ)、『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)、『プリシラ』(1994年)など多彩な役柄で存在感を示した。

死去した場所や死因については明かされていないと、同紙は報じている。

※スウィンギング・ロンドンとは、1960年代のイギリスを国際的に輝かせた文化的黄金期を指す言葉

カンヌ主演男優賞と「スーパーマン」での復活

スタンプは、ウィリアム・ワイラー監督作『コレクター』(1965年)において、若い女性(演:サマンサ・エッガー)を監禁する凶悪な男を演じ、その恐怖に満ちた演技でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。

その後、『スーパーマン』(1978年)、『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)でクリプトン人の狂気的支配者ゾッド将軍を演じ、再び脚光を浴びたのである。

ゾッド将軍を演じるテレンス・スタンプ、『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)より 写真:Warner Bros./Photofest
ゾッド将軍を演じるテレンス・スタンプ、『スーパーマンII 冒険篇』(1980年)より 写真:Warner Bros./Photofest

映画出演の広がりと「スター・ウォーズ」

スタンプは『夜霧のマンハッタン』(1986年)や『ウォール街』(1988年)に助演として出演したのち、スティーヴン・ソダーバーグ監督の犯罪ドラマ『イギリスから来た男』(1999年)でベテランのイギリス人犯罪者を演じ、高い評価を得た。

同年、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』においてヴァローラム最高議長を演じ、シリーズに名を刻むこととなった。

青い瞳の美男子とパゾリーニ作品

若き日のスタンプは青い瞳と端麗な容貌で「スクリーンでもっとも美しい男性のひとり」と評され、イタリアの監督ピエル・パオロ・パゾリーニはその魅力を独自の方法で映し出した。

『テオレマ』(1968年)でスタンプに役名もなく台詞もない来訪者の役を与え、その男が一家全員を誘惑する物語を描いたのである。パゾリーニは劇中にスタンプの股間を強調したクローズアップを複数回挿入することも忘れなかった。

また『遥か群衆を離れて』(1967年)では騎兵軍曹を演じ、ジュリー・クリスティと並んでトップクレジットを得た。ちなみに、ピーター・フィンチやアラン・ベイツも同じく彼女に恋する役柄で出演していた。

スタンプはかつて「あれは母のお気に入りの作品だった。母はいつも、あの映画の自分が最も格好よく見えると思っていた」と語っている。

クリスティとの恋と「ウォータールー・サンセット」

この作品には印象的な場面がある。本来は左利きであったスタンプが、クリスティを魅了しようと丘の上で剣術を披露する、めくるめくモンタージュである。しかし監督のジョン・シュレシンジャーは「1860年以前の騎兵は全員右利きであった」と主張し、スタンプはその要望に応じた。

スタンプとクリスティは私生活において実際に恋人同士となった。スタンプは、自分とクリスティの名がザ・キンクスの1967年のヒット曲「ウォータールー・サンセット」に登場すると語っていた。歌詞にある「テリーはジュリーに会う、金曜の夜はいつもウォータールー駅で」という1節である。

しかし、バンドのフロントマンであるレイ・デイヴィスは自伝の中でこれを否定している。

世界1周の旅と「スーパーマン」出演のきっかけ

スタンプは英国のスーパーモデル、ジーン・シュリンプトンとも交際していたが、その関係が終わると心を整理するため世界1周の旅に出た。最初に立ち寄ったのはエジプトで、最終的にたどり着いたのはインドのボンベイであった。

そこで彼は“クラレンス・スタンプ”と誤って宛名が書かれた電報を受け取る。それは『スーパーマン』の監督リチャード・ドナーからの招待であり、マーロン・ブランドと共演する機会を知らせるものであった。

「私の世代の俳優でブランドと(ジェームズ)ディーンは特別だった。2人は憧れの的であった。ディーンはすでに亡くなっていたが、ブランドはまだ健在であった。だから、たとえ短い時間でも映画でブランドと共演できるというのは、どうしても断れないほど魅力的だった」と、スタンプは1988年、インタビュアーのマイケル・パーキンソンに語っている。

しかし、2度のアカデミー賞受賞歴を持つブランドとの共演は失望であったとスタンプは振り返る。

スーパーマンの父ジョー=エルを演じたブランドはセリフを覚えようとせず、撮影用の照明の裏に大きな文字で書かれた台詞カードを貼り付けさせていたのである。スタンプは「台詞も覚えられないのに、どうやって『リア王』や『マクベス』を演じるつもりなのか」と問いかけたという。

ブランドは「もう覚えているさ」と素っ気なく言い放ったとスタンプは述べている。

デビュー作『奴隷戦艦』で脚光

スタンプは24歳のとき、映画デビュー作『奴隷戦艦』(1962年)で善良で楽観的な英国軍艦HMSアヴェンジャーの乗組員ビリー・バッドを演じ、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。

艦長を演じたのはピーター・ユスティノフであり、ユスティノフは監督・共同脚本・製作も兼ねていた。

テレンス・スタンプ、映画デビュー作『奴隷戦艦』(1962年)より 写真:Allied Artists Pictures/Photofest
テレンス・スタンプ、映画デビュー作『奴隷戦艦』(1962年)より 写真:Allied Artists Pictures/Photofest

スクリーンテストの最中、待っているユスティノフが屋根の向こうをじっと見つめているのを目にしたとき、スタンプの自信は打ち砕かれた。

「彼はあまりに圧倒的で、私が口にすることはすべて薄っぺらく感じられた。だから、私は話すのをやめてしまったんだ」とスタンプは語っている。

それでもユスティノフはスタンプを起用した。なぜなら、スタンプが無意識のうちに、ビリー・バッドの「間の抜けた」振る舞いをそのまま体現していたからである。

「これがテレンス・スタンプだ!」――映画の予告編はこう叫ぶ。
「有名コラムニストのルエラ・パーソンズが“映画界で最大の新星発見”と絶賛した若き俳優!」

スタンプはゴールデングローブ賞で最有望新人男優賞を受賞し、この作品は全米映画批評委員会によって年間ベスト10作品のひとつにも選ばれたのである。

映画『プリシラ』での挑戦

60年におよぶキャリアの中で、もっとも挑戦的な役のひとつとなったのは『プリシラ』(1994年)であった。スタンプが演じたのは、オーストラリアをドラァグクイーンの2人とともに旅をするトランスジェンダー女性のバーナデット役である。

「最初は冗談かと思った。しかし、ちょうどそのとき女性の友人がそばにいて、代理人から脚本について電話を受けている私を見ていた。彼女が鋭い言葉で指摘したのだ――『あなたの不安は、起こりうる結果に比べて大げさすぎる』と」スタンプは英国映画協会に語っている。

「だが、楽しいことでもなければ、楽しみにしていたわけでもなかった。心の中ではこう思っていた――『くそっ、こんなの世界一やりたくないことだ。オーストラリアでパパラッチに追われるなんて最悪だ』と。まるで悪夢のようであった。しかし現地に着き、恐れを乗り越えてみると、それはキャリアの中でも最高の経験のひとつになった。おそらく人生で最も楽しい仕事だったかもしれない」

映画はオーストラリア国内で1600万ドル(約16億円)以上を稼ぎ、カンヌ国際映画祭でも上映され、さらにアカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞した。

※円表記は映画公開時1994年の為替レートで換算しています。

批評家ロジャー・イーバートは「映画冒頭では、女装したテレンス・スタンプの意外な姿に気を取られる。しかしスタンプは、その役柄に説得力ある人間味を与えることに成功している」と記している。

生い立ちと演技の原点

テレンス・スタンプは1938年7月22日、ロンドン東部ステップニーに5人兄弟の長男として生まれた。父はタグボートの船長で、長期間家を空けることが多かった。

スタンプはウェバー・ダグラス演劇学院の奨学金を獲得し、のちにマイケル・ケインとロンドンで同じ家に住みながら映画界でのキャリアを歩み始めた。

スタンプが1964年にブロードウェイで主演した舞台『アルフィー』の映画版の主演を断った際、その役を引き受けたのがケインであった。2人は舞台『The Long and the Short and the Tall』で共演したが、映画で共演することは1度もなかった。

マイケル・ケイン 写真:Karwai Tang/WireImage
マイケル・ケイン 写真:Karwai Tang/WireImage

スタンプが演技に目覚めたきっかけは、映画館で『ボー・ジェスト』(1939年)を観たことだったという。

「ゲイリー・クーパーに覚えた共感は人生を一変させるほどであり、暗い劇場の中で秘かな夢が芽生えた」と、スタンプは2017年の回想録『The Ocean Fell Into the Drop』に記している。

著作とその後の出演作

彼の自伝的著作としては、『スタンプ・アルバム(原題)』(1987年)、『カミング・アトラクションズ(原題)』(1988年)、『ダブル・フィーチャー(原題)』(1989年)、『Rare Stamps: Reflections on Living, Breathing and Acting』(2011年)がある。

また1993年には小説『ザ・ナイト(原題)』を執筆し、2001年にはエリザベス・バックストンと共著で、小麦や乳糖に不耐性を持つ人々のための健康食ガイド『ザ・スタンプ・コレクション・クックブック(原題)』を出版した。

テレンス・スタンプ 写真:Sonia Recchia/Getty Images
テレンス・スタンプ 写真:Sonia Recchia/Getty Images

出演作としては、スパイ・コメディ『唇からナイフ』(1966年)、ケン・ローチ監督のデビュー作『夜空に星のあるように(原題:Poor Cow)』(1967年)、フランク・オズ監督『ビッグムービー』(1999年)、ブライアン・シンガー監督『ワルキューレ』(2008年)などがある。近年では『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(2016年)、『ヴァイキング・デスティニー(原題)』(2018年)、『マーダー・ミステリー』(2019年)、エドガー・ライト監督『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)にも出演している。

テレビでの活躍と私生活

テレビにおいては、スタンプはホラー・アンソロジーのシリーズ『ザ・ハンガー』の第1シーズンでホストを務め、『SMALLVILLE/ヤング・スーパーマン』(2001~2011年)ではジョー=エルの声を担当し、さらに2017年の『アガサ・クリスティー ねじれた家』では中心となる犯罪の謎解きに挑んだ。

2002年大晦日、64歳のスタンプはオーストラリア・ボンダイで出会った29歳の薬理学者エリザベス・オルークと結婚したが、2008年に離婚した。

スタンプの弟クリス・スタンプは、ロックバンド「ザ・フー」の初期に共同マネージャー兼プロデューサーを務めていた人物である。

テレンス・スタンプの魅力について

『プリシラ』のDVD特典映像では、スタンプがバーナデット役のまま「なぜテレンス・スタンプはそんなに魅力的なのか」と問われる場面がある。

「女性ならだれでも求める3つの魅力が彼にはあるの。面白くて、ロマンチックで、しかも賢い」とスタンプは答えた。

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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