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『ブレイキング・バッド』RJ・ミッテの母、息子の死を受けて訴え「子どもの心の変化を見逃さないで」

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『ブレイキング・バッド』RJ・ミッテの母、息子の死を受けて訴え「子どもの心の変化を見逃さないで」
RJ・ミッテと母ダイナさん 写真:Theo Wargo/Getty Images for KING COBRA
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『ブレイキング・バッド』でウォルター・ホワイト・ジュニア役を演じた俳優、RJ・ミッテが34歳で死去した。母ダイナ・ミッテさんは、息子を追悼する式典の後、米メディア『ハリウッド・リポーター』のインタビューに応じ、生前の姿や俳優としての活動、障害者の権利擁護に取り組んだ功績を振り返った。悲しみの中で、子どもの心の変化に気づき、必要な支援につなげることの大切さも訴えている。

RJ・ミッテの追悼式に数百人が参列 母が息子への思いを語る

ダイナ・ミッテさんは、息子を失った悲しみと向き合いながら、一歩ずつ日々を過ごしているという。

テキサス州ブラウンズビルにあるミッテ・センターで開かれた追悼式典「セレブレーション・オブ・ライフ」には、数百人が参列した。会場の座席は埋まり、あふれた参列者は別の建物にも集まった。出席者たちは、俳優として、そして1人の人間として多くの人々に影響を与えたRJ・ミッテの思い出を語り、故人をしのんだ。

ダイナさんは式典でスピーチをしなかった。深い悲しみの中にいた娘のラシアンヌ・カリエールさん(RJ・ミッテの妹)を支えることを優先し、息子と親しかった人々に思い出を語ってもらいたいと考えたためだ。

式典の数時間後、ダイナさんはインタビューに応じた。自身の経験を伝えることで、子どもの心の不調に悩む家族の助けになりたいと考えている。

「子どもの話に耳を傾けてください。小さな兆候も見逃さず、子どもの気持ちに寄り添い、そばにいて、必要なときには助けを求めることをためらわないでほしいです」

また、息子の仕事や経済状況、婚約者との関係をめぐり、インターネット上で広がっていた憶測についても説明した。

RJ・ミッテの母、仕事低迷説を否定 映画出演や新事業を計画

追悼式には、RJ・ミッテと仕事を共にしたプロデューサー、監督、キャスティング担当者、エージェント、マネージャー、広報担当者らが集まった。ダイナさんは、息子のキャリアが低迷していたという一部の見方を否定し、生前は多くの仕事を抱えていたと明かす。

「以前は、1つの仕事を得るまでに1,000回オーディションを受けることもあると言われていました。今は事情が違います。新型コロナウイルスの影響で業界が停滞した時期もありましたが、その後は仕事も戻ってきました」

ダイナさんによると、RJ・ミッテは2026年にすでに3本の映画が公開され、さらに2本の公開を控えていた。新たな映画への出演契約も複数結び、書籍の出版やフードトラック事業の立ち上げも計画していたという。

「彼には本当にたくさんのことがありました」

一方、過去に報じられたマネージャーとの金銭問題についても言及した。ダイナさんは、問題が起きたのは何年も前で、すでに解決しており、今回の死とは関係がないと説明した。

息子には多くの将来の可能性があった。突然の死をどう受け止めているのかについて、ダイナさんは、本人が個人的な悩みを抱えていたことを認めつつ、家族や友人、仕事仲間にも気持ちを打ち明けていたと振り返った。

「人は、1時間でも、1日でも、1週間でも、1カ月でも、何かに苦しめられていると、弱ってしまう瞬間があるのだと思います。今回もそうだったのではないかと考えています。ただ、彼が悩みを抱えていなかったという意味ではありません」

家族は、息子が亡くなるとは予想していなかったという。

「母親が、あのような形で自分の子どもを見つけなければならないなんて、あってはならないことです。受け入れるのは本当につらいことです」

母が気づいていた心の変化 「子どもの話に耳を傾けて」

ダイナさんは以前から、息子の様子を心配し、カウンセリングを受けるよう勧めていた。目立った行動の変化があったわけではないが、本人や友人、仕事仲間との会話を通じて、気がかりな点があったという。

「だからこそ、カウンセラーに相談するよう勧めました。利害関係のない第三者に話を聞いてもらうことには意味があります。自分の気持ちや物事の捉え方を話せば、専門家は個人的な利害に左右されることなく、話を聞き、意見を伝えてくれます」

ダイナさんは、親が子どもの変化を見逃さず、普段から対話を重ねることが重要だと強調する。本人が回復に向かっているように感じられた時期もあったが、いつも連絡を取り合っていた息子が電話に出なかったとき、初めて重大な兆候だと感じたという。

自身もセラピストに相談しており、テキサス州の自宅近くとロサンゼルスに、それぞれ相談できる相手がいると明かした。息子の様子について心配していた時期には、どのように話題を切り出すべきか、事前に専門家に相談したこともあった。

今回の経験を通して、メンタルヘルスの問題やうつ病について社会全体で理解を深め、互いに支え合う必要性を改めて訴えている。

「子どもがカウンセリングを必要としていると思うなら、本人が望んでいるかどうか、未成年か成人かにかかわらず、受けられるように方法を考えてほしい。それが私から最も伝えたいことです」

幼い頃から思いやりにあふれた人柄 障害者の権利擁護にも尽力

ダイナさんによると、RJ・ミッテは生後3日で養子として迎えられた。「彼は私の人生の光でした」と、息子への愛情を語る。

幼い頃から聡明で、生後9カ月には言葉を話し始めたという。大きな笑顔で周囲を明るくする一方、穏やかで、他人に惜しみなく与える子どもだった。ほかの子が自分のおもちゃを欲しがれば譲り、誰かがけがをして泣いていれば、様子を見に行ったという。

家族は、子どもたちに他者を思いやることや、恵まれた環境にある者として社会に貢献することを教えてきた。お小遣いの一部を慈善活動のために取り分け、クリスマスには支援する子どもを選び、寄付などにお金を使う習慣を設けていた。

成長するにつれて、障害のある人々への理解も深まっていった。RJ・ミッテ自身も障害と向き合いながら、シュライナーズ小児病院でさまざまな障害のある子どもたちと交流。時間をかけて話し、一緒に笑い、相手を笑顔にしようとしていたという。

その思いは、俳優としての活動や社会貢献にもつながった。シュライナーズ小児病院や、脳性まひのある人々を支援する団体United Cerebral Palsyなどと協力し、障害のある人々への理解を広げるために活動。教育や職場でのインクルージョン(包摂)と多様性を訴え、障害の有無にかかわらず、誰もが役を得る機会につながるオーディションを受けられるべきだと主張していた。

ダイナさんは、息子の死後、世界中から1,000件を超えるメッセージを受け取ったと明かす。そこには、RJ・ミッテとの出会いによって人生が変わったという人々の声が寄せられていた。

大学で彼と出会ったある人物は、自殺を考えていたときに話をする機会があり、その交流を経て「もう1日生きてみよう」と思えたと伝えてきたという。

また、リトアニアでは教育現場における障害者の問題について、ロシアでは職場での障害者の権利について講演した。ワシントンD.C.では障害者の権利擁護に向けて働きかけるなど、国境を越えて活動を続けていた。

「息子はこんなにも多くの人の人生を変えることができたのだと、改めて気づきました」

ダイナさんは、息子が生前に抱えていた苦しみと、多くの人を支えてきた功績は矛盾するものではないと考えている。息子の活動を受け継ぎ、メンタルヘルスへの理解を広げることこそが、自分にできることだという。

「彼は今も人々を助け続けています。息子なら、私にこうしてほしいと思うはずです。これは私にとって受け入れるのが難しいことですが、それでも話をして、息子のために変化を起こしていくのです」

『ブレイキング・バッド』の撮影現場で学んだ映画制作

RJ・ミッテは、世界的な知名度を得た後も、自分を特別な存在だとは考えていなかったという。

ダイナさんは、息子が俳優としての仕事そのものを愛していたと語る。『ブレイキング・バッド』のクリエイター、ヴィンス・ギリガンは、撮影現場でさまざまな部署の仕事を見学する機会を与えた。RJ・ミッテは、プロデューサーや監督、撮影監督をはじめ、照明やカメラなど、映像制作に関わる幅広い仕事を学んだという。

「彼は、自分は俳優だから注目してほしい、などとは考えていませんでした。私たちはみんな同じ人間で、一緒に物事に取り組んでいるのだと考えていました。誰に対しても友人のように接し、同じ立場で仕事をする仲間として見ていたのです」

ダイナさんは『ブレイキング・バッド』を最初から最後まで2回視聴したことがあると明かす。息子は自分の演技を見返すことを好まなかったが、母親であるダイナさんは出演作を少なくとも1度は見るようにしてきた。

息子の死後、映画をいつ見られるようになるかはまだ分からないという。それでも、周囲の人々が投稿した動画を見て、息子の声を聞き、笑顔や、好きなことについて熱心に話すときの表情を目にすることに慰めを感じている。

ロサンゼルスでも追悼式を計画 息子の功績を未来へ

テキサス州での追悼式に大勢が参列し、ロサンゼルスやニューヨーク、海外からも追悼の声が届いたことを受け、家族はカリフォルニア州でも式典を開く方向で準備を進めている。

ロサンゼルスには、RJ・ミッテと仕事をした監督やプロデューサー、俳優、スタッフらが多く暮らしており、追悼の場を設けるには適した場所だとダイナさんは考えている。インタビュー時点では10月30日が候補日として挙がっていたものの、詳細は確定していなかった。

地元自治体も、息子の功績を後世に伝えるための取り組みを検討しているという。俳優たちからも、彼の遺したものを引き継ぐために協力したいとの申し出が寄せられている。

「彼は本当にすばらしい青年でした。息子の功績を伝え、より多くの人に知ってもらうことに、何の恥じらいもありません」

息子を失った悲しみの中でも、ダイナさんは自らの経験を語ることを選んだ。子どもが抱える苦しみに気づき、必要な支援を受けられるようにすること。そして、誰かが助けを必要としているときに、周囲が手を差し伸べること。その大切さを伝え続けることが、息子の思いを未来へつなぐ道だと考えている。

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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