【訃報】『ダラス』や『炎のテキサス・レンジャー』を手掛けた監督、マイケル・プリースが88歳で死去

『ダラス』や『炎のテキサス・レンジャー』などの多くの作品を手掛けた監督、マイケル・プリースが2月27日に亡くなった。享年88歳。
プリースは心不全により、ロサンゼルスのブレントウッドにある自宅で息を引き取ったと、彼の娘であり、2度のオスカー受賞シンガーソングライター、ランディ・ニューマンの妻であるグレッチェン・プリース=ニューマンが米『ハリウッド・リポーター』に語った。
プリースは、1984年から1990年までの『ハンター』の最初の6シーズンで19エピソードを監督し、1981年から1991年までの『ダラス』のシーズン4から14までを含む62エピソードなどを監督した。また、1993年から2001年まで放送された『炎のテキサス・レンジャー』の9シーズンにわたり、70エピソードを監督した。
プリースは、2007年にキャリアを終える前に『名探偵ジョーンズ』、『ファンタジー・アイランド』、『フラミンゴ・ロード』など数多くのシリーズに携わってきた。
マイケル・プリースは1936年9月15日にロサンゼルスで生まれ、アレクサンダー・ハミルトン高校を卒業後の1955年夏にサンタモニカ・シティカレッジの1年生として、プレストン・フォスター主演のシンジケート番組『ウォーターフロント』でセットコンティニュイティの仕事を得た。
その後、彼はNBCの『アイ・スパイ』(1965~1968年)の全3シーズンでスクリプトスーパーバイザーとして活躍し、また『老人と海』(1958年)、『戦艦バウンティ』(1962年)、『西部開拓史』(1962年)、『勇気ある追跡』(1969年)、『大洋のかなたに』(1970年)、『ゲッタウェイ』(1972年)、『ペーパーチェイス』(1973年)、『軍用列車』(1975年)などの映画にも関わった。
プリースは1975年、ABCの『サンフランシスコ捜査線』のあるエピソードで監督に昇格し、映画『プライズファイター/笑撃!タイトルマッチ』(1979年)と『ゴリラ2』(1993年)の指揮をとった。
『炎のテキサス・レンジャー』で多くのエピソードを監督していたが、『ダラス』ではレナード・カッツマンより5エピソード多い程度だった。
「ラリー(ハグマン)は自分のキャラクターを十分に理解していた。必要以上に大げさに演じる傾向があったため、少し抑える必要があった。あるいは、台詞をうまく覚えていない場合は、キューカードに台詞を書いて渡し、「ラリーはまるでそれを読んでいるようだ」と言うこともあった。しかし基本的には、彼にはほとんど演出の指示が必要なく、キャストの多くも同様であった。彼らは仕事を非常にしやすくしてくれた」と述べた。
プリースはロリマー・プロダクションズに長年勤めており、『ダラス』で監督を務める前に、各キャストが銃を発射するシーンを撮影していた。これは、1980年3月に放送された伝説的な第3シーズンのクリフハンガーで、ハグマン演じるJ.R.ユーイングを実際に撃った人物が誰であるかを誰にも知られないようにするためだった。
彼の娘によると、父親は義理の息子に優れたミュージシャン(ランディ・ニューマン)がいることを特に誇りに思っていたという。その他の遺族には、息子ゲイリー、孫のジェイソン、アリアナ、モリー、パトリック、アリス、エイドリアン、曾孫のジェイソンとエマ、そして玄孫のジュリアンが含まれる。
彼は最初の妻ポーラとハミルトンで出会い、1953年から1968年まで結婚。その後、1969年にヘアスタイリストであるイヴリン・プリースと結婚後彼女が亡くなる2017年まで添い遂げた。
※本記事は抄訳・要約です。オリジナル記事はこちら。
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