映画『アイム・スティル・ヒア』レビュー:軍政と闘った不屈の母の軌跡…ブラジルの名匠ウォルター・サレスが描く、実話を基にした壮大な叙事詩

1998年の名作『セントラル・ステーション』で国際的な評価を得た名匠ウォルター・サレスが、16年ぶりに母国ブラジルで制作した長編映画『アイム・スティル・ヒア』。『セントラル・ステーション』で第71回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたフェルナンダ・モンテネグロと、実の娘であるフェルナンダ・トーレスが共演した本作は、1971年に家長ルーベンスが連行され、行方不明となった実在のパイヴァ家の出来事を基にしている。
組織的拷問や強制失踪といった暗い歴史は南米諸国共通の傷であり、映画は集合的記憶の器として機能してきた。しかし『アイム・スティル・ヒア』が特別なのは、軍事政権への抗議精神をきわめて親密なレンズを通して描いている点である。ウォルター・サレス監督自身には、60年代後期にパイヴァ家と出会い、青春時代の重要な時期をともに過ごした経験がある。監督の実体験に基づく親密な視点が、軍事政権下の家族の物語に深みをもたらしている。
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『アイム・スティル・ヒア』あらすじ
70年代の軍事政権下のブラジル。パイヴァ家は、音楽や愛情の溢れる温かな日常を送っていた。しかし、その平穏はある日、政府によって元国会議員の家長ルーベンス(演:セルトン・メロ)が強制連行されたことで突然打ち砕かれる。妻エウニセ(演:フェルナンダ・トーレス)は尋問や恐怖といった極限状態に置かれてもなお、5人の子どもたちを守ろうと懸命に振る舞うが、政府は逮捕の事実さえ認めない。やがて、エウニセは顧問弁護士の事件ファイルを調べ始める。
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作家マルセロ・ルーベンス・パイヴァ(ルーベンス・パイヴァの実の息子)による原作本の核心は、母エウニセの静かなる勇敢さにある。エウニセはひとりで家族の絆を保ち続ける責任を背負い、避けられない現実に直面したときもその悲しみを隠し通す。さらに、48歳で法学の学位を取得した後は、ルーベンスのような「行方不明者」を当局に正式に認定させる運動をはじめ、さまざまな社会活動に関わるようになる。
『アイム・スティル・ヒア』が描く希望
『アイム・スティル・ヒア』で最も美しく描かれているのは、家族が少しずつ再生していく過程だ。成長した子どもたちが結婚し、やがて孫が生まれるにつれ、家族は再び冒頭の無邪気なシーンにあったような賑やかで喜びに満ちた姿を取り戻していく。家族写真の詰まった箱を整理するという何気ない場面でさえ、愛情あふれる「回復」の行為として映し出されており、多くの観客の涙を誘うだろう。
エウニセ役のフェルナンダ・トーレスは、静かな抑制のなかに雄弁さを宿し、内に秘めた痛みと強さをきわめて繊細に表現している。劇中で彼女が怒りの声をあげるのは、リオの自宅を監視する車の窓を叩きながら、無表情な男たちに向かって叫ぶ場面のたった一度だけだ。現在95歳となったフェルナンダ・モンテネグロは晩年のエウニセを演じ、表情豊かな瞳で語る演技は胸を締めつけるほど切なく、深い感動をもたらしている。
圧巻の映像美と音楽が紡ぐ、闘いの記憶
また、『アイム・スティル・ヒア』は映像美も際立っている。アドリアン・テイジドが手がけた35mmフィルム映像は、70年代の雰囲気を巧みに再現し、当時撮影されたスーパー8mmフィルムのホームビデオも効果的なアクセントとなっている。さらに、本作の大きな魅力のひとつは、ウォーレン・エリスによる音楽だ。物語が進むにつれて、当初は悲しげで不穏だった音楽が、時間の飛躍とともに次第に感情のうねりを帯びていく構成は、実に見事である。
『アイム・スティル・ヒア』は観る者を強く惹きつけ、深い共感を呼び起こす秀作だ。本作は、ブラジル映画界の名匠、ウォルター・サレスの代表作のひとつといってよいだろう。
<映画『アイム・スティル・ヒア』作品情報>
■公開日:8月8日(金)
■監督:ウォルター・サレス
■脚本:ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガ
■キャスト:フェルナンダ・トーレス/セルトン・メロ/フェルナンダ・モンテネグロ
■上映時間:137分
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。編集/和田 萌
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