“デス妻”から10年、エヴァ・ロンゴリアの改革 新作『フレーミングホット! チートス物語』で映画監督デビュー

エヴァ・ロンゴリア 6月13日、NYにて 写真: ©JAI LENNARD

2012年、シーズン8で幕を閉じた『デスパレートな妻たち』。「ファイナルシーズンの年に、主役のオファーが次々と舞い込んできた」エヴァ・ロンゴリアは当時をこう回想する。

『デスパレートな妻たち』は2004年に放送開始後、日曜夜に高視聴率を叩き出した。米ABCの親会社であるディズニーのボブ・アイガーCEOは“よく個別でディナーに連れて行ってくれた”という。当時は大規模合併時代の幕開けで、ストリーミングも誕生したばかりだった。2011年、コムキャストがユニバーサルを取得し、その1年後Netflixが最初のオリジナルシリーズを配信した。

「次は何?」人々は決まって同じ質問を彼女に尋ねた。

『デス妻』の撮影スケジュールは1年間で11か月間を占め、「もう息ができない感じで。1年間で24エピソードをこなし、PTSDになってしまった」と明かしたロンゴリア。そして、別の作品への出演については“あらゆるオファーをもらったが、すべて断った”という。

長らく制作・監督業に意欲的で、ついにロンゴリアは方向転換を決断。しかし同業界は、彼女をカメラの裏側へ回すことに消極的だった。「確実に、監督業に足を踏み入れる俳優への警戒心がある。重要なのは、それを乗り越えること。性差別や人種差別というわけではなく、“ほら、無知な俳優が来たぞ”という空気でした」

エージェントの提案で、監督としての経験を積んでいった。最初にメガホンを取ったのは、プロデューサーとして携わっていたドラマ『デビアスなメイドたち』だった。ロンゴリア曰く、“自分の庭で始めた方が、よっぽどやりやすかった”そう。やがて『ブラッキッシュ』、『ジェーン・ザ・ヴァージン』、『アシュリー・ガルシア 〜恋する天才少女〜』といった作品で監督を務めた。「ある日、ふと上を向くと10年の月日が経過していました」

©JAI LENNARD

そして現在、自身の長編映画監督デビュー作『フレーミングホット! チートス物語』がリリースされている。「フリトレー」工場の用務員リカルド・モンタニェスが「Flamin’ Hot チートス」を開発し、マーケティング管理者になるまでを描いた同作は、米Hulu・Disney+での配信に加え、ホワイトハウス内の庭園で上映された。監督として渡り歩き、ハリウッド業界の内外でラテン系のレプリゼンテーションを強く求めてきたロンゴリア。業界からの歓迎に感謝しながらも、彼女はすでにその先を見据えている。「まだまだ道のりは長い。これから2作目、3作目が出来ることを想像してみて!」

25年前LAに引っ越し、ラテン系の役柄のオーディションを受けていたものの、反応は“きみは白過ぎる”。一方、白人の役柄のオーディションに出向くと“ラテン系過ぎる”と言われた。その結果「イタリア人の役をたくさん演じることになった」という。

ラテン系が演じられる役柄の不足に失望することはなかった、とロンゴリアは語る。「当時は、大ごとになるような話ではなかった。今は“ダイバーシティ”という言葉がそこらじゅうにある。でもあの時は、そういった取り組みやプログラムは何もなかった」かつてのロンゴリアに目には、自身が望むキャリアを歩む人の姿が映っていた。「ロゼリン・サンチェスです。私がハリウッドに来たとき、ロゼリンはザ・ロックと共演し、『ラッシュアワー』に出演していました。“自分の容姿に似た誰かを見つけたー” そんな気持ちでした」

やがて、彼女自身がまさにその“誰か”になった。ロンゴリアは「私がお手本になる番でした。“やった!コミュニティーの一員が快挙を成し遂げた!ラテン系の女性が、メジャーなドラマに!”」と振り返った。アイガー氏から当時ABCで放送されていた“ALMA アワード”の司会をオファーされ、10年間にわたり司会とプロデューサーを務めることとなった。エンタメ・メディア業界におけるラテン系の功績は認知され始めていたが、映画・テレビ業界で表彰する作品を見つけるのは容易ではなかった。「作品を提出してもらうのが難しい。(ラテン系が主役の)映画はたった1本しかなくて、受賞するのはその1本だけ、ということもよくありましたね」

『デスパレートな妻たち』より ©DANNY FELD/ABC/COURTESY EVERETT COLLECTION

業界で活躍する数少ないラテン系の人物として、数々の非営利団体からイベントの司会などの仕事を頼まれることも度々あった。「渡された要点を暗記するような、ただの語り手にはなりたくなかった。私は本当に問題を理解したかったんです。なので、“少し勉強させてください”という姿勢でした」

著名な農場労働組合のリーダー、ドロレス・ウエルタ氏と面識があったロンゴリアは、ラテン系関連の問題についてアドバイスを求めた。ウエルタ氏に『占領されたアメリカ:チカーノの歴史』という本を薦められ、ロンゴリアは著者のロドルフォ・アクーニャ氏に連絡を取った。その後、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校でアクーニャ氏の授業を聴講したそうだ。

ロンゴリアは「2010年ごろは、本当にたくさんの活動をしていました」と回想し、取り組みの原動力は「コミュニティーとしての現在地、そしてどこから来たのかを知る必要性」だったと語った。2010年代に移民改革を強く訴えかけ、非正規移民の子供の支援をする“DREAM Act”を支持した。そして2013年、チカーノ研究で修士号を取得するに至る。

変化を起こすための修士号だったが、家族への負い目もあったそうだ。「私は家族から失望されていました。彼らは全員教育関係者なんです。私は“今世界で一番話題のドラマに出ている”という感じでしたが、彼らは“そうだね。でも、修士号を持っていないじゃないか”という反応を示しました」知名度が向上すると、いっそう活動の勢いが増した。2010年と2014年には、児童労働や移民農業労働者についてのドキュメンタリー作品の製作総指揮を担当。

また2012年、オバマ元大統領の再選キャンペーンの共同司会を務めるなど、民主党のイベントにも顔を出した。やがて、米CNNやポリティコにも頻繫に登場するようになった。

「コミュニティーのために機会を増やし、カメラの裏側へ回ることが目的です」彼女の支援活動は、ハリウッドでの野心と密接に結び付いている。映画・テレビ業界において、依然ラテン系のレプリゼンテーションは乏しいままだ。2021年のアネンバーグの報告によると、2007~19年の興行収入トップ100の作品で、セリフのあるヒスパニック/ラテン系の登場人物は5%のみ(主役・準主役級は3.5%)。また1,300作品のうち、ヒスパニック/ラテン系の監督は4.2%だった。最後にラテン系の女性が監督を務めたスタジオ作品は、20年前のリンダ・メンドーサ監督『ワタシにキメテ』だという。ロンゴリアは「私たちは20年ごとにしか、リンゴをかじることができない」と見解を示した。

「フレーミングホット!」の撮影現場にて ©EMILY ARAGONES/COURTESY OF SEARCHLIGHT PICTURES

長年テレビ業界で活躍してきたロンゴリアの映画監督デビューを後押ししたのは、友人のケリー・ワシントンだった。2018年、2人はユニバーサルとコメディー映画『24/7』の企画を進め、監督を面接したものの適任者は見つからなかった。ワシントンは「あなたがやったらどう?」としきりに尋ね、ユニバーサル・ピクチャーズの重役らにロンゴリアの起用を直談判。「クリエイティブな場では、“あなたならできる!”と背中を押してあげることが必要」とワシントンは語った。

最終的に『24/7』の企画は消滅したが、エージェントを介して「フレーミングホット!」の脚本を受け取った。ロンゴリアはサーチライトとプロデューサーのデヴォン・フランクリンに2時間のプロモビデオで作品を売り込んだ。その時のことを「“これ以上は削れません。すべてを語らなくちゃ!”という気持ちでした」とロンゴリアは笑いながら振り返る。プレゼンが功を奏し、ロンゴリアは監督に決定した。

2021年春、「フレーミングホット!」は企画段階にあった。時同じくしてリン=マニュエル・ミランダ監督『イン・ザ・ハイツ』が公開するも、アフロラティーノの登場人物の描写不足が指摘され、カラリズムとして非難を浴びた。ロンゴリアは「フレーミングホット!」をラテン系コミュニティーへのラブレターと表現しており、誤った描写がされているとは感じてほしくなかったと明かした。「私は“みんな、全部読んだ?じゃあ、もう1回読んでみよう”という姿勢でした」

「フレーミングホット!」にはメキシコ系アメリカ人をキャスティング、チームもヒスパニック系の人々で固めた。「チョロの登場人物を大切にしました。アルバカーキの人を起用するのではなく、ロサンゼルスのチョロの人々が必要でした」結果、ロンゴリアはリアリティ番組『Cholos Try』のファビアン・アロマールとマリオ・ポンスに声を掛けた。

撮影に入る1か月前、米ロサンゼルス・タイムズが「Flamin’ Hot チートス」の起源に関する調査を公開、その中で「フリトレー」が声明を発表した。「リカルドが“Flamin’ Hot”のテスト販売に関与したという記録はない。その都市伝説は事実に即していない」記事の公開後、モンタニェスは“私たちが会社を愛している以上に、会社が私たちを愛してくれることはない”などと反応。フリトレーの親会社「ペプシコ」も、“彼の話を疑う理由などない”との見解を示した。

当時、記事の公開を知らなかったロンゴリアは、撮影現場のアルバカーキにいた。映画はモンタニェスの視点から語られており、記事が台本やアプローチに影響することはなかったそうだ。同作の公開に至るまで、ストーリーに関する質問が相次ぎ、米ハリウッド・リポーターに「チートスの歴史についての映画ではない」と語っていた。

「あくまでもリカルドの物語で、最も説得力があるのは彼の人生そのもの。偶然、彼はこの10億ドル級の商品に一役買うことになったのです」

サーチライトの親会社、ディズニーは「フレーミングホット!」の拡大公開を強化。世界中の人々が視聴可能になるDisney+での配信について、両会社のトップらは話し合いを進めた。サーチライトのグリーンバウム共同社長は“非常に家族向けの作品”だとコメントしている。

“エヴァの強みすべてが、この映画を支えている”とワシントンは語る。「権利擁護とともに歩んできた彼女の人生や、より大きな場で居場所と声を得ようと戦ってきたことに思いをはせ、いざその技量を目の当たりにすると、彼女無くして今作は存在しなかったと言えますね」

劇場公開はされなかったが、テキサス、アリゾナやカリフォルニアといった地域で試写会を開催。ロンゴリアは、サンアントニオの商工会議所などでQ&Aセッションに参加した。ロンゴリアによると、“開催回数を倍増していった”という。

昨年はHBO Max『Gordita Chronicles』でプロデュース・監督を経験するも、ワーナー・ブラザース・ディスカバリーとの合併後、同作は『バットガール』ほか数々のプロジェクトとともに中止に。「未だに理由が分からない。もう最終段階だったのに。どれだけの資金が企画、脚本、制作、撮影、編集やマーケティングに投じられたか分かってる?」とロンゴリアは吐露した。

「この合併は、プロデューサーでも組合員でもないスーツを着た人々が決めたことなんだと思う。私たちの業界がどんな風に動いているか、分かっていない。人は最終的な利益にしか目がないとき、大切なことを見失っている。残りの部分が見えていないのです」

『Gordita Chronicles』より ©LAURA MAGRUDER/HBO MAX

WGAのストライキはすでに2か月目に入り、SAG-AFTRAの要求も最終調整中だ。ストについて問うと、ロンゴリアは「昔ながらのやり方では持続不可能。1日18時間働ける人なんていない。1日12時間でも、“いつ子供の面倒を見てるの?”とスタッフのことが心配になります」と答えた。

「ストリーマーなどに向けてコンテンツを制作する現在の流れは、まるで飽くことのないモンスターのようです。とにかく働き続ける必要があり、それを動かすのは労働者。労働者に対しどのような対価を払うか、見直さなければなりません」

「フレーミングホット!」のプレス期間中は、5歳の息子を連れてオースティンやカンヌに出向き、映像作品におけるラテン系のレプリゼンテーションの欠如について語った。今回のインタビューが行われたのは、「LA ラティーノ国際映画祭」でのスクリーニング当日。届けたい観客層に向けて組まれたプログラムということもあり、ロンゴリアは最も重要なスクリーニングだと捉えているそうだ。公開を機にハリウッドでのラテン系のレプリゼンテーションを求める一方、配信リリースということはエンタメ業界における成功の尺度(興行収入、視聴者数など)が機密情報扱いになってしまう。プレミア後、サーチライトは声明内で「フレーミングホット!」のデータは公にされないことを明かした。

ホワイトハウスで行われたスクリーニングにて 6月15日 ©CELAL GUNES/ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES

ついに「フレーミングホット!」も一段落つき、ロンゴリアはカメラの前に立つ仕事に取りかかっている。最近は米CNNの旅行/グルメシリーズ『エヴァ・ロンゴリア: メキシコを探して』に出演、Disney+やAppleの新作映画・ドラマも控えている。監督業に関しては、ストが原因で作品に目を通す時間が増えたといい、いくつかのプロジェクトを抱えているそうだ。次回作は未定だが、映画監督デビュー以来彼女はある変化を感じている。

「今では、みんな“監督”としての私と対面します。最近も素晴らしいプロデューサーやスタジオとミーティングを重ねています。“あの、私は俳優でもあるんですけど”という感じですね。私にはまだ本業があります」

※今記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら。翻訳/和田 萌

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