マリリン・モンロー生誕100周年!スタッフの孫が語る、スター誕生前夜の“少女の素顔”――伝記映画企画も進行中
作家・脚本家で公私ともにパートナーでもあるジョシュア・ジョン・ミラーとマーク・フォーティンは、一世を風靡した俳優マリリン・モンローの生誕100周年を記念した書籍『ザ・マリリン・モンロー・センチュリー(原題:The Marilyn Monroe Century)』を上梓したばかり。
本書は、ミラーの祖父である写真家ブルーノ・バーナードが撮影したマリリン・モンローの姿を収めた写真集だ。収録された写真の多くは、ロサンゼルスにあるアカデミー映画博物館で開催中の企画展「マリリン・モンロー:ハリウッドの象徴」でも展示されている。
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『ザ・マリリン・モンロー・センチュリー(原題:The Marilyn Monroe Century)』 写真:Amazon.co.jp
バーナードとモンローの出会いは1945年に遡る。バーナードはサンセット大通りのスタジオで、まだ無名だった10代のモンロー(当時は本名「ノーマ・ジーン」として活動)を初めて撮影した。やがてバーナードが撮影した彼女の写真は、数々の雑誌の表紙を飾っていった。
彼はモンローの良き相談相手となり、時にはマネージャーのような役割も果たした。そして、バーナードは彼女をハリウッドへ導き、「マリリン・モンロー」というキャラクターを作るために一役買ったと言われている。
本書はバーナードが記した詳細な日記のほか、その娘でミラーの母親にあたるスーザン・バーナードが残した多くの資料が反映されている。スーザンは『プレイボーイ』誌のモデルや、ラス・メイヤー監督のB級映画に出演する俳優として活躍した。
1962年、36歳の時に薬物の過剰摂取で亡くなったマリリンは、ハリウッドによる“搾取の犠牲者”として語られることが多い。しかし本書は、彼女をさらに複雑で多面的な存在として描き出している。特に、彼女は「自身のイメージを自ら設計した人物」として語られている。
テレビドラマ『クイーン・オブ・ザ・サウス ~女王への階段~』(2016年~)や、ホラーコメディ映画『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』(2015年)で知られるミラーとフォーティンは、自分たちを「困難を抱えた女性について描く作家」と位置づけている。
米『ハリウッド・リポーター』は2人にオンラインインタビューを実施。モンローが何を望み、そのために何を成し遂げたのか、2人は熱量をこめて語ってくれた。

映画化構想も進行中!「マリリン・モンロー」誕生前夜の少女を描く
――ミラーさんの祖父であるバーナードさんとマリリンの物語は、映画化の可能性を強く感じさせます。すでにそうした話は進んでいるのでしょうか。
ジョシュア・ジョン・ミラー(以下、ミラー):実はつい先日、あるすばらしい制作会社と具体的な打ち合わせを行いました。その場で全員の意見が一致したのは、「ノーマ・ジーンの物語は、まだ本当の意味で語られていない」ということです。
マリリン・モンローの物語は誰もが知っています。その逸話はあまりにも有名です。しかし、ノーマ・ジーンとは本当はどんな人物だったのか?彼女が「マリリン」になるために必要だった、ある種の“悪魔的な取引”とは何だったのか?そうした初期の歩みは、まだほとんど描かれていません。
そして何より、その流れの中で、彼女自身はかなり主体的に動いていました。そうした事実は十分に理解されていないのです。
マーク・フォーティン(以下、フォーティン):そうなんです。マリリンの人生は、「すばらしいサクセスストーリーだ」と称賛されるか、あるいは悪夢として描かれるか、そのどちらかに偏りがちです。
もちろん、どちらの側面も真実ではあります。しかし見落とされがちなのは、彼女が自らのイメージを自ら創り上げた「ペルソナの設計者」だったという事実です。彼女はカメラについて深く理解しており、誰もが認めざるを得ない人物像を、自ら作り上げたのです。それは決して偶然の産物ではありませんでした。
ミラー:もし映画化するなら、マリリンと私の祖父の間に築かれた、ある種ロマンティックな友情が中心になると思います。俳優にとっても非常に挑戦しがいのある作品になるでしょう。
マリリン・モンローを演じることを恐れる俳優は多いと思いますが、私たちはひとつ方針を決めています。それは、映画の最後まで「マリリン」は登場させないということです。今回描くのは、あくまでノーマ・ジーンです。

整形手術も――写真家とともに歩んだスター誕生への道
――その頃には、すでにノーマ・ジーンとは別人のような姿になっていましたよね。整形手術を受けたという話もあります。
ミラー:それは事実です。本書にも詳しく書いてあります。彼女はウィリアム・モリス社副社長のジョニー・ハイドの助言を受け、整形手術を受けました。
彼女はよく崖っぷちに立たされていました。当時、彼女はコロンビアから3度目の契約解除を受け、パニック状態でジョニーに電話をかけたんです。そこでブルーノが「砂漠へ行って、雑誌の撮影をしよう」と誘いました。
その週末は、2人の友情を深めるうえで重要な時間であると同時に、大きな転機になりました。プールサイドに座っていたとき、ジョニー・ハイドが祖父にこう尋ねたんです。
フォーティン:「その女性は誰なんだ?」とね。

ミラー:ジョニーは、すぐに甥のノーマン・ブロコウをマリリンの担当にしました。ノーマンは、ジョニーの死後にウィリアム・モリス社の会長になります。ノーマンは彼女に20世紀フォックス(現:20世紀スタジオ)との最初の契約を取り付けました。確か週給125ドルで、その後20ドル昇給する契約だったと思います。そして、顎と鼻の整形も勧めたのです。
衣装も、ルックも、メイクも、すべてブルーノと当時の「ノーマ・ジーン」が一緒に作り上げました。雑誌に掲載される写真こそが注目を集める最大の手段であり、実際にそれによってマリリンは20世紀フォックスとの契約を勝ち取ったのです。
さらにノーマンはブルーノに対し、「もうビキニ姿の写真は撮らないでほしい。スキャンダラスすぎる。水着ならもっと肌の露出を抑えたものにしてほしい」と頼んだそうです。
今なら有名人の周りには50人規模のチームがいますよね。しかし当時は違いました。写真家が全体を取り仕切ったうえ、すべて手作業で、身内だけで完結していたんです。そしてブルーノも深く関わっていました。
当時のスターにとって、写真家は親友であり、メンターであり、相談相手であり、スタイリストであり、キャリアマネージャーでもありました。
マリリン・モンロー自身が作り上げた“スター像”とは?生誕100周年で再注目
――マリリンはどこまで自らの人物像を作り上げ、どこから周囲の権力者たちが形作ったものなのでしょうか。
フォーティン:実際には、誰かに押し付けられたわけではありません。ジョニー・ハイドと出会う頃には、彼女はすでに髪を明るく染めていました。さらにブルーノの協力を得て、「ミス・スウィベル・ヒップス」の異名を持つバーレスクスター、リリ・セイント・シアの歩き方を研究し、自分で歩き方を変えたのです。
発声レッスンも受け、私たちがよく知るマリリン・モンローの声を作り上げていました。それは、ノーマ・ジーンの地声とはまったく違う声でした。彼女は自ら主導権を握り、世界的に通用するペルソナを創造していったのです。
ミラー:ところが、この逸話の中で失われてしまったものがあります。例えば、マリリンの伝記映画『ブロンド』(2022年)を観れば分かるように、彼女は単なる被害者として広く知られています。率直に言えば、私はあの作品をトラウマ・ポルノのように感じました。
その結果、「搾取された女性」という側面が強調され、彼女自身の主体性や、彼女が成し遂げた革新的な業績については、ほとんど語られなくなってしまいました。

フォーティン:美しい映像作品だとは思いますけどね。しかし、ビキニ姿のマリリンばかりに注目して「搾取だ」と批判することで、本当に彼女が搾取された部分からは、議論が逸れてしまいがちです。
本当に彼女を搾取したのは、当時の20世紀フォックスと、そのトップだったダリル・F・ザナックです。また、コロンビア・ピクチャーズの社長ハリー・コーンは彼女に言い寄り、彼女がそれを拒否したため契約が打ち切られたという話もあります。
ミラー:そして彼女はフォックスとの契約を破棄し、そのことを公然と批判します。その後、彼女は自らのプロダクション会社を設立し、いくつかの映画を製作しました。当時としては極めて先進的な試みでした。
しかし、未完に終わった最後の映画『Something’s Got to Give(原題)』を撮影するため20世紀フォックスへ戻った彼女を、スタジオはさらに追い詰めました。それは、彼女がスタジオに異議を唱えて契約を破棄し、より高額な報酬を求めて再交渉したことへの報復だったのです。
そして私たちは今、「#MeToo」以後の視点からこうした歴史を見ています。先日、アカデミー映画博物館が、水色の樽の前でビキニ姿になったマリリンの写真をSNSに投稿しました。すると、「なぜアカデミーはこんな写真を掲載するのか。これは彼女への搾取の再現だ」という批判が寄せられたんです。
しかし実際には、そのビキニ姿の写真は、マリリン自身が祖父のスタジオを4~5回目に訪れた際、「新しい服を買ったの。髪型も変えたし、声の練習もしているの。ねえ、もっとセクシーな写真を撮って」と頼んだものだったそうです。

フォーティン:むしろ慎重だったのはブルーノの方でした。彼はマリリンを「近所の女の子」や「かわいらしい秘書」、「女子学生」といったイメージで売り出そうとしていたからです。しかし、マリリンの方から「もっと大胆にいきましょう」と提案したんです。
ミラー:もちろん、当時も今も下心のある男たちはいました。ただ、「彼女は自らの人物像を作り上げた」ということと、「周囲から押し付けられるものもあった」という2つは、どちらも真実だと思うんです。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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