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映画祭はなぜホラー映画に熱狂するのか? 芸術の聖域を変えた商業主義

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映画祭はなぜホラー映画に熱狂するのか? 芸術の聖域を変えた商業主義
イラスト:Peter Arkle
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映画祭は、ハリウッドの過剰な商業主義から映画を守る場所だったはずだ。しかし今、その舞台では過激なホラー映画が喝采を浴び、高額な買収合戦が繰り広げられている。芸術と政治を語る聖域は、いつから刺激的な作品を競り落とす市場へと変貌したのか。

▼ホラー映画が映す業界の変化…映画祭はハリウッドへの登竜門に

『コロニー/群体』より
『コロニー/群体』より 写真:Well Go USA

映画祭には、政治的なメッセージに敏感な映画学生や活動家、「自分こそ次のヨルゴス・ランティモスになれる」と信じるような観客が集まる。ハリウッドで成功したい監督にとって、彼らの支持を得ることも重要な課題なのだ。

かつて映画学校は、技術を学び、スカウトに才能を見いだしてもらう場所だった。しかし今、新人監督が映画界で成功するには、自作を携えて映画祭をめぐり、そこで発見される必要がある。無名の映画作家も『マッドマックス』のような大人気シリーズの最新作と注目度を競い、俳優出身の監督たちも有名人の人脈を生かして参入する。

代理人やスタジオ幹部はNBAのスカウトさながらに客席に陣取り、次の有望株を見定める。「ネポ・ベビー(親の七光りで成功した人物)」が政治的なメッセージを巧みに打ち出せばマーベル映画の監督に抜てきされ、失敗すれば再びゴム製スーツを着る側へと逆戻りだ。

▼ホラー映画が芸術として祭り上げられる理由

デミ・ムーア、『サブスタンス』写真: Cannes Film Festival
デミ・ムーア、『サブスタンス』より 写真:Cannes Film Festival

こうして映画祭は、芸術と商業が融合した奇妙な市場と化した。片隅には余命わずかな祖母を描く静かな日本映画がひっそりと置かれる一方、会場の中央では、その年で最も観客を悲鳴させたホラー映画が注目を集める。

ホラーやB級ジャンル映画が映画祭で上映されること自体に問題はない。映画界に不足していたユーモアや遊び心を取り戻してくれるし、映画は楽しむためのものでもある。

問題は、映画祭の自己満足的な政治談議とホラー映画への熱狂が結びつくことだ。観客が残虐な描写に歓声を上げる一方、映画関係者はその表現に高尚な政治的意味を与えようと躍起になる。上映後の質疑応答では、娯楽作品が社会問題や権力構造を読み解く題材へと変わり、監督は道徳的な正しさを証明しようとする人々に囲まれる。

『サブスタンス』のようなボディホラーは、こうして「史上最高の映画」のひとつとして祭り上げられる。映画祭は左派政治を称賛しているというより、グロテスクな描写を政治的な言葉で包み込んでいるにすぎない。スクリーンで首が切り落とされると歓声を上げた観客が、その場面はいかに植民地主義を批判しているかとSNSに投稿する。そんな光景が繰り広げられるのだ。

もっとも、理由は単純かもしれない。ホラー映画は売れるのである。

▼インディペンデント映画を取り巻く厳しい市場

『キャンプ・ミアズマ ティーンのセックスと死』より
『キャンプ・ミアズマ ティーンのセックスと死』より 写真:SXSW London

現在、インディペンデント映画市場は供給過剰で、配給会社が作品を安く買い叩ける買い手優位の状況にある。国際的なテレビ市場の縮小も、ストリーミング事業者の力を強めた。彼らは自社の「オリジナル作品」には潤沢な予算を投じる一方、外部作品の買い付けでは低い金額を提示する。

その結果、映画製作者や出資者は投資回収の道筋を描きにくくなっている。ストリーミング事業者が安価にコンテンツを確保する一方、製作のリスクは映画製作者や出資者が負う。この仕組みが持続可能とは思えない。映画製作に資金を注ぎ込む投資家が、いつまでも現れ続けると高をくくっているのだろう。

こうした状況で大きな権力を握るのが、映画祭のプログラマー、つまり上映作品の選定委員だ。彼らは事実上、小規模な映画スタジオの最高経営責任者(CEO)に等しい。

映画祭は作品を純粋な芸術的価値に基づいて選ぶという建前を守る。しかし、その権威は配給会社にとっても都合がいい。「公式選出作品」という肩書きがあれば、安く買い付けた映画にも箔がつき、観客に正規の入場料を払わせられるからだ。

▼高額な買収合戦が映し出す矛盾

『オブセッション 災愛』より
『オブセッション 災愛』より 写真:Focus Features

映画祭の翌朝、業界紙の見出しを飾るのは、深夜上映のホラー映画をめぐる買収合戦であることが多い。サンダンス映画祭ではNetflixが『ワッツ・インサイド』に1,700万ドル(約26億円)を支払い、翌年にはNEONが『トゥギャザー』に同額を投じた。トロント国際映画祭でもフォーカス・フィーチャーズが『オブセッション 災愛』を1,500万ドル(約23億円)で買収し、映画祭史上最高額を記録したとされる。

バイヤーたちは、暗闇の劇場で観客を最も大きく叫ばせた作品に、巨額の資金を投じている。こうした取引はインディペンデント映画製作にとって歓迎すべき成功だが、少なくともサンダンス映画祭の創設者ロバート・レッドフォードが思い描いた理念とは程遠い。彼はフランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』のような映画芸術の聖堂を夢見ていた。ところが、目を覚ますとホラー専門誌『ファンゴリア』がギフトショップを仕切っていた――そんな皮肉な状況なのだ。

環境問題、有害な男らしさ、企業ファシズム。映画祭が観客に真剣に考えるよう求めてきたテーマは数多い。しかし、実際に商業的価値を高めることに成功したのは、皮肉にも「斬首」だった。斬殺、目つぶし、憑依された男が自分の脳みそをぶちまける場面。かつてティーンエイジャーがレンタルDVDで楽しんでいたようなB級娯楽作が、今や映画祭で最も高値のつく商品になっている。

ハリウッドの商業主義から映画を守るために生まれた映画祭。しかし、その行き着いた先は、血まみれの内臓をタキシードに詰め込み、映画祭の権威を象徴する月桂冠のステッカーを貼り付けることだった。

※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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