『関心領域』アウシュヴィッツ収容所の隣に住む家族の無関心
澄み切った青空、色鮮やかな草花、子どもたちの笑い声。ある違和感を除けば穏やかなファミリードラマのようだ。
5月24日(金)に公開される『関心領域』は、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所の隣で幸せに暮らす家族を描いた作品。
マーティン・エイミスの同名小説をジョナサン・グレイザー監督が映画化し、第96回アカデミー賞国際長編映画賞、音響賞の2部門を受賞、第76回カンヌ国際映画祭ではグランプリに輝いた。
ホロコーストを題材した映画はこれまでにたくさん作られてきた。そのほとんどが残虐さを表現しているが、『関心領域』に残虐シーンは一切登場しない。
アウシュヴィッツ収容所の所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)と妻ヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)は、収容所と壁一枚隔てた隣の豪邸で子どもたちと幸せに暮らしていた。
ジョナサン・グレイザー監督は実在したヘス所長について2年にわたり徹底的にリサーチ。ルドルフ・ヘスは1940年にアウシュヴィッツ強制収容所の所長に任命された人物だ。
よくいる仲のいい家族を描いたドラマのように見えるが、映画が始まるとすぐに違和感が襲ってくる。美しい青空を映し出した映像の後ろに流れてくるのは、居心地の悪い不協和音。
最初は何かの機械音かと思ったが、あまりに長く響き渡る音をしっかり聞いてみると「人間の叫び声ではないか?」と我に返り一気に血の気が引いていった。
違和感のある音の先を見せないことで、惨劇への恐怖が浮き彫りになっていく。
壁の外に無関心なヘス家
隣から銃声や悲鳴が鳴り響くなか、ドレッサーで化粧を直すヘドウィグ。銃声の先にある惨状を無視するかのように平然と口紅を塗り直す。
ヘス夫婦は何気ない会話でお腹を抱えて笑い合い、旅行の計画を楽しげに語る。
現代ではどこにでもある光景だが、笑うことやオシャレをする心のゆとりは一定の条件が揃わずして不可能なのだと思い知らされる。そして未来を語ることは生きることだということも。
壁の向こうにいる人々は、笑う気力も自由も奪われ一秒先の未来すらあるかもわからない絶望の中を生きているのだ。
銃声や悲鳴への無関心は、さらに恐怖心を沸き上がらせていく。
夫妻の関心はアウシュビッツ収容所の隣に住んでいることではない。
妻の関心は豪邸の庭園作りとオシャレで、夫の関心は出世すること。だがヘスの昇進はつまりホロコースト政策での成果を意味している。
衝撃的だったのは、隣から虐待する会話が聞こえてきてもヘス家の子どもたちは取り乱すことなく平然と過ごしていたこと。「なぜ無関心なのか?」とそんな疑問さえわいてくる。
『縞模様のパジャマの少年』ではナチス将校の子どもに「ユダヤ人は悪だ」と教育するシーンが登場する。ヘス家でも同じ教育をしていることは想像に難くない。
残虐シーンがないからこそ頭をよぎる人生
ナチスドイツにより600万人ものユダヤ人が虐殺され、「ホロコーストの象徴」と呼ばれるアウシュヴィッツ収容所では110万人以上の命が奪われた。
ルドルフ・ヘスにとって出世を目的とすればユダヤ人犠牲者数はただの数字かもしれない。だがそこには数百万人の名前と人生があった。
『関心領域』ではヘス家の人々だけに焦点をあて、収容所での惨劇や人々は描かれていない。だからこそその先で行われている悲惨さに想像がかりたてられ、未来があったはずの人生に想いをはせる。
『シンドラーのリスト』の命のリストに記載されたユダヤ人従業員の一人一人の名前を、そして実話ではないが『ライフ・イズ・ビューティフル』のユダヤ人家族の父グイド、母ドーラ、息子ジョズエたちの人生を。
いかなることがあろうと罪のない人々の自由や尊厳は誰にも奪えない。
『サラの鍵』で「数字ではなく顔を与えること。個々の運命に光を与えること」というセリフがあるように、一人一人に名前、笑顔、希望、友人、家族、尊厳、人生があったことが思い起こされる。
1945年1月27日に旧ソ連軍によってアウシュヴィッツ収容所は解放され、壁一枚が作り出した奪う側と搾取される側の隔たりは無くなる。
昨日まであった厳格なルールが今日では通用しなくなる脆さを問われている気がした。
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