是枝裕和監督が『ルックバック』を語り尽くす――涙ながらに解説「あの“背中”を必ず再現したかった」
藤本タツキの大ヒット漫画を是枝裕和監督が実写化した『ルックバック』。若きキャストたちの瑞々しい演技が光る本作は、第83回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映された。
本作は、是枝監督が自身の真骨頂ともいえる「繊細な人間ドラマ」に立ち返った作品でもある。成長と創作をめぐる切実な物語が、若い俳優たちの鮮烈な演技によって描き出されている。
本作は是枝監督による今年2本目の長編映画だ。5月に公開された『箱の中の羊』は、亡くなった息子にそっくりなヒューマノイドを迎え入れた夫婦を描く、近未来を舞台とするドラマだ。SF的な題材を扱った、是枝作品としては異色の一作だった。
一方の『ルックバック』は、是枝作品ならではの、登場人物たちへの温かいまなざしが色濃く表れた作品となっている。
主人公の一人は、快活な小学生の藤野(演:七瀬ふうり)。漫画の才能に恵まれた藤野は、地方の小学校でちょっとした人気者となっていた。そんな藤野の創作意欲に、さらに火をつける存在が現れる。学校にはほとんど姿を見せない同級生、京本(演:岡田六花)だ。京本が描く絵は、小学生とは思えないほど緻密で洗練されていた。
当初、藤野は京本を一方的にライバル視するが、やがて2人の間には深い友情が芽生え、漫画制作のパートナーとなっていく。藤野がキャラクターを、京本が背景を担当し、2人はともに漫画家への道を歩み始める。
物語はそこから13年にわたり、2人の成長を追っていく。作品が商業誌に掲載され、プロとして最初の成功をつかむ一方、やがて2人はそれぞれ異なる道を選ぶことになる。成長した藤野を出口夏希、京本を蒔田彩珠がそれぞれ演じる。
七瀬ふうり、岡田六花(映画『ルックバック』ポスター) ©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社
出口夏希、蒔田彩珠(映画『ルックバック』ポスター) ©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社
東北地方で約1年をかけてロケ撮影された本作では、移り変わる四季の美しさとともに、田舎の町で過ごす少女たちのかけがえのない時間が丹念に映し出される。創作への憧れ、成長の喜びと戸惑い、そして幼い日々の無垢な輝き――。その瑞々しい描写は、どこかスタジオジブリ作品を思わせる情感を漂わせる。
米『ハリウッド・リポーター』は東京で是枝監督にインタビューを実施。漫画を実写化する難しさ、本作に込めた思い、そしてヴェネツィアでの北野武との思い出について話を聞いた。
是枝裕和監督と『ルックバック』の出会いとは?漫画を実写化する難しさ
――藤本タツキ氏の原作漫画とは、どのように出会ったのでしょうか。初めて読んだ時、どんな印象を受けましたか。
京都旅行から東京へ戻る際、品川駅で新幹線を降りて、ふと書店に立ち寄ったんです。机に向かっている少女の背中が描かれた表紙の本がたくさん並んでいて、なぜか目に留まり、衝動的に購入しました。
事務所に戻って「少し読んでみよう」とページを開いたら、そのまま最後まで一気に読んでしまいました。本当に心を動かされましたね。
読んですぐに「映画にしたい」と思う作品に出会うことは、私にとって非常に珍しいことです。当時はちょうどコロナ禍で、あまり仕事をしていない時期でもありました。この物語に触れたことで、自分自身の仕事について、もう一度考えるきっかけをもらったように思います。
若い人が夢中になれるものを見つけ、全力を注いでいく――その姿には、とても心を動かされるものがあります。
季節が移り変わっていく中、机に向かって前かがみになった少女の背中や、もっと上手な漫画を描こうとペンを走らせる音。そうしたものは、映画でもできるだけ忠実に映像で表現したいと、最初から考えていました。
――映画化を進めていく中で、原作から何を残すべきだと感じ、逆に何を変える必要があると思いましたか。
この漫画は藤本タツキさんが描いた作品で、主人公の名前は「藤野」と「京本」ですよね。2人の名前を合わせると「藤本」になる。私の理解では、この2人は藤本さん自身の中にいる人物、あるいは自身のもう一つの側面を表しているのだと思います。
漫画では、特に京本が抽象的な存在として描かれています。彼女がどんな生活を送り、どんな環境で育ったのかといった背景は、ほとんど描かれていません。
でも実写映画では、主要人物をそこまで抽象的な存在として描くことは難しい。スクリーンの中で、一人の生身の人間として存在させなければなりません。そのため、京本を「藤野と同じ町で生活しているキャラクター」としてより立体的に描くにあたり、私自身の直感や解釈を加える必要がありました。
――映画では、日本の田舎で過ごす2人の子ども時代が非常に美しく、感動的に描かれています。絵コンテやショットの構図を考える際、原作の絵をどの程度再現しようとしたのでしょうか。藤本さんの絵を実写でそのまま再現したようなショットもあるのでしょうか。
実は、それは最初に想像するよりも難しいんです。漫画を読む時、とても重要なのが、一つひとつの絵を囲んでいる「コマ」ですよね。正方形なのか、横長なのか、縦長なのか……。漫画家はコマの形や大きさを変えることで、独特のリズムを生み出しています。
しかし、そのリズムを動く映像の中でそのまま再現することはできません。映画には映画独自の文法があります。そこを理解すると、「漫画を実写映画にする」というのは、実はかなり難しい作業なんです。
ただし『ルックバック』では、どうしても映画で再現したい重要なイメージがいくつかありました。その一つが、机に向かう人物の背中を見つめる構図です。漫画全体を通して繰り返し登場する、とても重要なイメージだと思います。
創作に没頭し、情熱を注いでいる人の背中を、私たちが見つめている。彼女は机に向かい、前かがみになって窓の方を向きながら絵を描き続ける。窓の外の景色は季節とともに変化し、彼女が描く絵も進化していく。しかし、その背中だけは変わりません。
そして、最初は1人だった人物が2人になり、やがて再び1人になる。そうしたモチーフは原作の中で明確に描かれているので、映画でも必ず表現したいと思いました。
是枝監督が考える『ルックバック』のテーマ――「何かを失い、何かを取り戻す物語」
――私はこの映画を、2つの「喪失」が重なり合う物語として受け取りました。1つは、誰もがいつか経験する子ども時代の「無垢さ」。もう1つは、若いクリエイターがプロの職業人へと成長していく過程で失っていく「夢」です。
そういう見方もできると思いますし、それもこの物語の一つの側面だと思います。ただ、2人が経験するさまざまな変化を考えてみてください。2人には、それぞれ違う道を歩くことになる大きな転機がありますよね。
藤野は1人になっても、商業漫画を描き続けることになります。当然、仕事との向き合い方も変わっていきます。1人で描いていたのがチームで制作するようになり、アナログだった作画もデジタルになる。彼女の周りで聞こえる「音」さえ変わっていきます。
私が重視したのは、こうした変化を単なる「否定的なもの」として描かないことです。
確かに、創作を始めた頃の純粋な動機が失われていくと、一種の喪失があります。しかし、藤野が京本と再び出会う時──それはとても奇妙で悲しい形での再会ではありますが──最後に描かれるのは、藤野が京本の中にあったものを自分自身の中に取り込み、それを抱えて生きていこうとする“決意”です。
そうすることで、藤野はかつて自分の中にあった情熱に気づき、再び情熱を取り戻すことができたのでしょう。だから私にとって、これは「何かを失う物語」であると同時に、「何かを取り戻す物語」でもあるんです。
涙をこらえきれず――是枝監督が語る『ルックバック』制作秘話
――私には幼い娘がいるのですが、父親としてこの映画を観ていると、思いがけない場面で何度も感情が揺さぶられました。監督にも娘さんがいらっしゃいますが、2人の少女の成長や子ども時代の無垢さを描く時に、父親として影響したものはありましたか。
何らかの形で影響していると思います。というのも、この映画を作っている間、私はずっと涙を流していたんです。脚本を書いている時も、撮影現場でも、編集している時も、完成した後も泣いていました。
子どもたちが何かに全力で取り組む姿は、本当に感動的なものです。好きなことや情熱を注げることに向かって、持てる力のすべてを注いでいく。その姿には、非常に胸を打たれます。
たとえフィクションの中の出来事であっても、私はそこに美しさを感じるんです。それは、見た目の美しさという意味ではありません。人間が自分の愛するものに本気で向き合い、全力を尽くす――その行為自体が美しいのだと思います。
……この辺でやめておきましょう。また泣きそうなので(笑)。監督らしくない発言だったらすみません。
――子ども時代の藤野を演じる七瀬ふうりさんは、ほとんど演技経験のない新人俳優ですが、どのように彼女を見つけたのでしょうか。また、一緒に仕事をしてみていかがでしたか。
彼女がオーディション会場に入ってきた瞬間に、映画で皆さんが目にする「藤野」が、もうそこにいたんです。オーディションに立ち会っていたスタッフ全員が、「わあ、藤野が来た」というような反応でした。これまで日本で多くの子役たちと仕事をしてきましたが、これほど最初からキャラクターとして完成されている子に出会ったのは初めてでした。
藤野と同じように、彼女は驚くほど「自信」と「自己肯定感」を持っています。それに、とても明るいエネルギーを内包しています。
撮影が始まると、彼女は「自分のことを常に役名で呼んでほしい」と言い出したんです。「ふうり」と本名で呼んだら罰金、というルールを書いた紙まで現場に貼り出して(笑)。そういう性格も、本当に藤野そのものでしたね。だから正直なところ、子ども時代の藤野役は彼女で即決でした。
北野武と遭遇!是枝監督とヴェネツィアの思い出
――是枝監督は近年、特に精力的に作品を発表されています。昨年にはNetflixシリーズ『阿修羅のごとく』全7話を監督し、今年は5月にカンヌ国際映画祭で上映された『箱の中の羊』、そして今回の『ルックバック』と、2本の長編映画を発表しています。かなりの仕事量ですが、このペースを楽しんでいるのでしょうか。それとも、少し休むことも考えていますか。
いえ、休む予定はまったくありません。もう次回作の脚本を書き始めています。これからも忙しく活動していたいですね。
――『ルックバック』は、監督にとってヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された4本目の作品になります。(メイン会場である)リド島での特別な思い出や、恒例の習慣などはありますか。
ヴェネツィアは、私にとってとても大切な場所ですね。というのも、自分のデビュー作が上映された場所だからです(※1995年『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭で上映)。
夜遅くに到着して、翌朝ホテル エクセルシオール ヴェニスで目を覚ましたとき、正面玄関のすぐ外に海が広がっているのを見て、「なんてことだ。これが国際映画祭なのか」と思いました。今でもはっきり覚えています。すべてがとても華やかで、日常とはまったく違う世界に感じられました。
それからロビーへ向かって歩いていた時、北野武さんに出会ったんです。北野さんは海で泳いだあと、ちょうどホテルに戻ってきたところでした。ロビーに差し込む光が逆光になって、ドラマチックなシルエットに見えました。日本を代表するスターの一人が、文字通り光り輝いて見えたんです。
それを見て、「これがヴェネツィア国際映画祭なんだ」と思いました。だから今でも、私の中ではヴェネツィアと北野さんがセットになっています。
またあの場所で、最新作『ルックバック』を上映できることをとても楽しみにしています。
映画『ルックバック』は9月11日(金)より全国の劇場で公開される。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
【関連記事】
- 実写版『ルックバック』米レビューが到着 是枝裕和は藤本タツキの物語をどう実写化したのか――出口夏希×蒔田彩珠が描く13年間
- 出口夏希&蒔田彩珠、映画『ルックバック』完成報告に感慨!是枝監督「特別な時間を撮れた」
- 【ネタバレ含む】ルックバック考察・ラストの解釈は?|悲劇を超えて“前を向く”物語の核心
- 【カンヌ国際映画祭2026】日本人監督5人の“今観るべき代表作”|是枝裕和、濱口竜介、黒沢清ら
- アニメ実写化作品おすすめ一覧|原作マンガおすすめ10選
