トム・ハンクス出世作『スプラッシュ』誕生秘話 消滅寸前から大ヒットへ導いた舞台裏
1984年公開の映画『スプラッシュ』は、トム・ハンクスを一躍スターダムへ押し上げた”出世作”として知られる。しかしその誕生の裏には、ハリウッド内の対立や度重なる拒絶など、公開直前まで製作中止が危ぶまれるほどの危機があった。製作の舞台裏を、関係者の証言から振り返る。
トム・ハンクス出世作『スプラッシュ』を巡る“人魚映画戦争”
企画が動き出した1980年代初頭、プロデューサーのブライアン・グレイザーは、ハリウッドの大物レイ・スタークと対峙していた。スタークはウォーレン・ベイティが関与する別の人魚映画企画を準備しており、グレイザーの企画に強い圧力をかけていたという。
ディズニーで進められていた『スプラッシュ』は、当時ヒットに恵まれていなかった同スタジオの中でも小規模な企画と見られていた。主演候補のトム・ハンクスもまだ無名に近く、周囲の評価は決して高くなかった。
さらにスタークは、製作中止と引き換えに興行収入の一部を提示するなど、プロジェクトを潰すための働きかけを行ったとされる。しかしディズニー側はこれを拒否し、映画は製作続行となった。
度重なる拒否とディズニーの決断
脚本は複数のスタジオを渡り歩いたが、どこも企画化には踏み切らなかった。背景には、競合作品の存在や業界内の力関係があったとみられる。
最終的にディズニーが企画を受け入れたものの、内容には条件が課された。人魚の描写に関する調整が求められ、製作陣はプレゼンテーションを重ねて折衷案にたどり着いたという。
当時のディズニーは現在のようなブランド力を持っておらず、ロン・ハワード自身も当初は参加に慎重だったと振り返る。それでもスタジオは企画を支持し、最終的にゴーサインが出された。
トム・ハンクス抜擢の舞台裏
キャスティングも難航した。ジョン・トラボルタやリチャード・ドレイファスらが候補に挙がりながらも出演を見送る中、オーディションに現れたのがトム・ハンクスだった。
当初は別の役で検討されていたが、そのコメディセンスと演技力が評価され、主演に抜擢された。結果として本作はハンクスにとってブレイクの契機となり、以後のキャリアを大きく変える転機となった。
ヒロインの人魚役にはダリル・ハンナが起用された。水中演技に対する高い適性を持ち、撮影でも特殊な衣装を着用しながら演技をこなしたという。
混乱の撮影と公開後の成功
撮影現場も過酷を極めた。水中シーンやニューヨークでのロケでは厳しい条件が重なり、短時間で多数のカットを撮影する必要があった。
それでも作品は完成し、1984年3月に公開。当時は閑散期とされていた3月公開ながら大ヒットを記録し、年間トップ10入りを果たした。
本作の成功は、ディズニーの新レーベル「タッチストーン・ピクチャーズ」設立のきっかけとなり、さらに3月公開作品の市場価値を高めるなど、業界にも影響を与えた。加えて、劇中に登場する「マディソン」という名前がアメリカで広く普及するなど、文化的な波及効果も生んでいる。
幾度もの頓挫の危機を乗り越えて完成した『スプラッシュ』は、結果として1980年代を代表するヒット作のひとつとなった。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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