【訃報】『グロス・ポイント・ブランク』『マイアミ・ブルース』の監督ジョージ・アーミテージ氏、83歳で逝去
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アレック・ボールドウィン主演の『マイアミ・ブルース』の共同脚本・監督、そしてジョン・キューザック主演の1990年代ブラックコメディ『ポイント・ブランク』を手掛けたジョージ・アーミテージ氏が2月15日、カリフォルニア州にて死去した。83歳だった。
多くの映画人と同様、アーミテージは1970年代初頭、ニューワールド・ピクチャーズのB級映画プロデューサー、ロジャー・コーマンから大きな後押しを受けた。
アーミテージはバーニー・ケイシーとパム・グライアー主演のMGM作品『ヒットマン』(1972)、クリス・クリストファーソンとジャン=マイケル・ヴィンセント主演のユナイテッド・アーティスツ作品『恐怖の暴力自警団』(1976)の脚本・監督も手掛けた。これらの作品はロジャーの兄弟、ジーン・コーマンがプロデュースした。
チャールズ・ウィルフォードの「ホーク・モーズリー」シリーズを原作とする『マイアミ・ブルース』(1990)では、アレック・ボールドウィンがベテラン警官(フレッド・ウォード演じるモーズリー)のバッジと銃を盗み、売春婦(ジェニファー・ジェイソン・リー)と共に大胆な犯罪を繰り広げる役を演じた。
『ポイント・ブランク』(1997)でも成功を収め、ジョン・キューザックがデトロイト郊外で10年ぶりの同窓会に出席するプロの殺し屋を演じた。
ジョージ・ブレンダン・アーミテージは1942年、コネチカット州ハートフォードで2人兄弟の末っ子として生まれた。1957年に家族とロサンゼルスに移住し、UCLAで政治学を専攻する傍ら映画学校で学んだ。在学中に20世紀フォックスの郵便室で職を得、1年半後にはABCの『ペイトンプレイス物語』でエベレット・チェンバース・プロデューサーの下、アソシエイト・プロデューサーとして働くようになった。
彼の最初の脚本である反体制的な若者のコメディ『ガス』(1970)が、ロジャー・コーマン監督の目に留まり、1970年夏、コーマンは戦争映画『レッド・バロン』(1971)の撮影のためアイルランドに向かう際、アーミテージに脚本執筆中の映画出演を提案。そこで映画の広報担当者で後に監督となるジョナサン・デミと出会い、生涯の友となった。
後年、エルモア・レナード原作、オーウェン・ウィルソン主演の『ビッグ・バウンス』(2004)の監督・製作も務めた。
遺族には63年連れ添った妻シャロン、息子、義理の娘ロンダ・セナ、孫のキャロラインとニック・アーミテージ、プロデューサーの姪ウェンディ・スベラク=ソーラクソン、編集者の甥デニス・ソーラクソンがいる。
アーミテージはかつてこう語っていた。「私は映画に対してとても個人的な関係を持っています。子供の頃から映画をよく見ていました。映画作りを楽しもうと思いました。私は常に人々の考えていることに近いところにいると思っていました。映画にはたくさんの仕掛けがあり、できることがあります。映画は心がどのように働くか、心が自分自身とどのようにコミュニケーションを取るかということに非常に近いのです。映画は夢であり、感情的なコーダなのです」と。
※この記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら。
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