『フレンズ』のチャンドラー役、マシュー・ペリーが54歳で死去

マシュー・ペリーさん 写真: ©FREDERICK M. BROWN/GETTY IMAGES

大人気ドラマ『フレンズ』でチャンドラー・ビング役として出演していたマシュー・ペリーさんが28日、ロサンゼルスの自宅で死去した。54歳だった。

警察関係者によると、ペリーさんは自宅の浴槽で反応がない状態で発見されたという。

『フレンズ』で大成功を収めた一方で、2022年の自伝本『Friends, Lovers and the Big Terrible Thing』では薬物・アルコール問題について振り返っていた。同年、米『ピープル』に医師から“生存確率は2パーセント”と告げられたことを明かした。

世界中で20代の若者の支持を獲得し、『フレンズ』は高視聴率を記録。ドラマは2004年に幕を閉じたが、ストリーミング時代の現在もなお絶大な人気を誇っている。

ワーナー・ブラザース・テレビは、米ハリウッド・リポーターに声明を発表した。「マシューは素晴らしい才能を持った俳優であり、ファミリーのかけがえのない一員でした。その才能は世界中に影響を与え、レガシーは多くの人々の心の中で生き続けるでしょう。今日は胸が張り裂けそうな日です。彼の家族、愛する人たち、そしてファンの皆様に愛を送ります」

ペリーさんは2002年、エミー賞コメディー部門の主演男優賞にノミネートされたが受賞には至らなかった。

『フレンズ』の人気が高まるにつれ、感情の浮き沈みが激しくなっていったという。97年のジェットスキー事故がきっかけで薬物を乱用するようになり、2001年にリハビリ施設に入所。飲酒が原因で、『フレンズ』のラスト3シーズンの記憶はほとんどないと認めていた。

2015年、米ハリウッド・リポーターに対し「薬物問題を30年も抱えていて、それを28日で解決しようなんて無理だ」と語った。「たくさんの浮き沈みを経験し、素晴らしい称賛も浴びてきた。でも自分の一番良いところは、アルコール依存症の人に“断酒を手伝ってくれないか”と言われたら、“うん。やり方なら分かるよ”と答えられることだね」

マシュー・ペリーさんは1969年8月19日、マサチューセッツ州ウィリアムズタウン生まれ。母親はカナダ人ジャーナリストで、ピエール・トルドー首相の報道官を務めた。父親は俳優で、1971~81年の刑事ドラマ『240-Robert』で知られる。

1979年に『240-Robert』でTVデビューを飾り、15歳で演技を学ぶ。高校時代には即興クラスでコメディースキルを磨いた。

数々のシットコムにゲスト出演後、ペリーさんは1987~88年にFOXのコメディ『Second Chance(Boys Will Be Boys)』のレギュラーに。3エピソード出演した『愉快なシーバー家』(1989年)では、キャロル(トレーシー・ゴールド)の恋人役で印象を残した。その他、『Who’s the Boss?』や『ビバリーヒルズ高校白書』にエピソード出演した。

『フレンズ』の絶頂期には、映画界への進出にも意欲的だった。最大のヒット作は、『隣のヒットマン』(2000年)で、悪名高い殺し屋(ブルース・ウィリス)に巻き込まれるおとなしい歯科医を演じた。全世界で1億ドル以上の興行収入を記録し、04年には続編も製作された。

他にも『愛さずにはいられない』(1997年)、『スリー・トゥ・タンゴ』(1999年)、『エリザベス・ハーレーの明るい離婚計画』(2002年)などの映画に出演。

『フレンズ』以降は、助演俳優として成功を収めた。2003~04年には『ザ・ホワイトハウス』で演じた共和党の弁護士役でエミー賞にノミネート。また『グッド・ワイフ』(2012年)に政治家役で出演、同シリーズのスピンオフ『グッド・ファイト』にも再登場した。

2006年、実在の教師を演じた『先生はあきらめない~ロン・クラーク物語』で4度目のエミー賞ノミネートを果たした。

ペリーさんが脚本・主演を務めた舞台『ジ・エンド・オブ・ロンギング(原題)/ The End of Longing』は2016年、ロンドンのウエスト・エンドで初演された。同作は途方に暮れた4人組がバーで飲みながら人生の謎について思いを巡らす物語で、ペリーさんは“自らを誇張したような役柄”と表現していた。翌年、「ジ・エンド・オブ・ロンギング」はニューヨークで上演された。

ペリーさんは“家庭を持ちたい”と公に語っていたが、一度も結婚はせず子供もいなかった。

※今記事は要約・抄訳です。オリジナル記事はこちら

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