『ホーム・アローン2』鳩おばさん役ブレンダ・フリッカーが死去――『マイ・レフト・フット』でアカデミー賞受賞、81歳
映画『マイ・レフト・フット』(1989年)で第62回アカデミー賞助演女優賞を受賞した俳優、ブレンダ・フリッカーが死去した。81歳だった。『ザ・フィールド』(1990年)、『ホーム・アローン2』(1992年)、『ハネムーンは命がけ』(1993年)などへの出演でも知られる。
フリッカーは体調不良が続いていたが、現地時間7月16日(木)、ダブリンで息を引き取った。
ブレンダ・フリッカー死去――『マイ・レフト・フット』で歴史的快挙
フリッカーのキャリアは約70年に及ぶ。その中で、アイルランド初のテレビ・ソープオペラ『Tolka Row(原題)』に出演したほか、ドラマ『コロネーション・ストリート』(1960年~)や『Casualty(原題)』では看護師役を演じた。
映画では、『ホーム・アローン2』の“鳩おばさん”役、『ハネムーンは命がけ』ではマイク・マイヤーズ演じる主人公の過保護な母親役、『エンジェルス』(1994年)の児童養護施設職員役、『アルバート氏の人生』(2011年)の料理人役など、幅広い役柄で存在感を放った。

2020年には、かつてフリッカー自身と父親が勤務していた新聞『アイリッシュ・タイムズ』紙が選ぶ「アイルランド出身の偉大な俳優」に選出されている。
代表作となったジム・シェリダン監督の『マイ・レフト・フット』では、ダニエル・デイ=ルイス演じる脳性まひの芸術家、クリスティ・ブラウンを支える母ブリジット・ブラウンを熱演し、アカデミー賞助演女優賞を受賞した。これは、アイルランド人女性俳優として初のアカデミー賞受賞となった。
受賞スピーチでは、実在するブリジット・ブラウンに敬意を表し、「22人もの子どもを産んだ女性なら、この賞を受け取る資格があります」と語った。
デイ=ルイスも同作で主演男優賞を受賞。撮影中も役を崩さない“メソッド演技”で知られていたが、フリッカーは2025年に英『ガーディアン』紙の取材で、その姿勢について率直に振り返っている。
「彼は誠実で道徳心のある人。でも徹底したメソッド俳優だった。人にはそれぞれやり方がある。私の演技にまで口を出されると、『お願いだから放っておいて』という気持ちになった」
同作は当時、ハーヴェイ・ワインスタイン率いるミラマックスが北米配給を担当していた。フリッカーは後年、有罪判決を受けたワインスタインとの初対面についても回想。「彼は私を抱きしめたが、吐き気を覚えた。何とも言えない嫌悪感があったの」と語っている。
『ホーム・アローン2』ではトランプ大統領との思い出も
オスカー受賞翌年には、再びシェリダン監督とタッグを組み、『ザ・フィールド』に出演。リチャード・ハリスとともに、18年間口を利いていない夫婦を演じた。当初の脚本では一言も台詞がない役だったが、シェリダン監督の判断で終盤に重要なセリフが加えられた。
また、オスカー受賞後初のハリウッド作品となった『ホーム・アローン2』では、ホームレスの“鳩おばさん”を好演。マコーレー・カルキン演じるケビンを助けるため、鳩の群れで泥棒コンビを撃退する印象的な場面を演じた。
同作の撮影中には、衣装のままホテルのエレベーターに乗り、カメオ出演していたドナルド・トランプ現大統領と鉢合わせしたという。
後年、フリッカーは「私はまるで豚小屋から出てきたような格好だったけれど、彼はとても礼儀正しく『調子はどう?』と声をかけてくれた」と回想している。

オスカーにこだわらない姿勢貫く「私はそんなこと気にしていない」
アイルランド人女性俳優初のオスカーという快挙について、フリッカーは昨年9月、アイルランドのラジオ番組で率直な思いを語っている。
「『アイルランド人女性として初めて』と言われるのは好きではない。歴史に残るのはすばらしいことだけれど、それは同時に重荷でもある。周囲は期待するけれど、正直なところ、私はそんなことは気にしていない」
オスカー受賞後の変化についても、フリッカーは赤裸々に振り返っている。「出演料の額は何桁も増えた。急にファーストクラスで移動するようになり、どこへでも入れるようになった。それは良いことだったけれど、一方で、注目されすぎるようにもなった」
2025年に出版した回顧録『She Died Young: A Life in Fragments(原題)』では、アカデミー賞についてほとんど触れなかった。その理由について、フリッカーは「賞を取る前の人生を書きたかった。世間は、私をオスカーと結び付けすぎているから」と語っている。
70年にわたり舞台と映画で活躍――壮絶な人生を振り返る
ブレンダ・フリッカーは1945年2月17日、ダブリン生まれ。父はジャーナリスト、母は教師だった。回顧録では、幼少期の虐待や、教師からのグルーミング被害、交通事故による長期入院、結核、自殺未遂、精神科施設への入院など、壮絶な半生を赤裸々に綴っている。
さらに、10歳以前から自傷行為をするようになったという。そのきっかけは虐待ではなく、「日曜ミサで目にした流血や死を描く宗教画だった」と振り返っている。
17歳の時には性的暴行の被害を受け、「あの出来事は私を完全に変えてしまった。私は壊れ、そのままずっと壊れたままだった」と記している。
回顧録の執筆について、フリッカーは「一行書いては消し、また書き直す、その繰り返しだった。本当に苦しかった。忘れようとしていた過去を、自分の手で呼び戻す作業だった」と語った。
ロレット・カレッジに進学した後、父親の紹介で『アイリッシュ・タイムズ』紙の見習い記者となり、その後、RTÉ(アイルランド放送協会)のディレクターに見いだされ、『Tolka Row(原題)』への出演が決まった。
舞台でも活躍したフリッカーは、ダブリンのアベイ座、ロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどで活動し、『マクベス』などに出演した。
1979年には映画・テレビ監督のバリー・デイヴィスと結婚。しかし6度の流産を経験し、夫のアルコール依存症もあり9年後に離婚した。その後、デイヴィスは1990年に転落事故で死去。当時フリッカーはオーストラリアでドラマの撮影中だったため、葬儀には参列できなかった。
その後も『評決のとき』(1996年)、『ヴェロニカ・ゲリン』(2003年)、『あの日の指輪を待つきみへ』(2007年)、『The Swallow(原題)』(2024年)などに出演し、長いキャリアを築いた。
晩年には、自身の追悼記事についてこう語っている。
「ある人に『あなたの追悼記事は“アカデミー賞受賞俳優”という言葉から始まる』と言われた。たぶん、その運命から逃れることはできないのでしょう」
エージェントのフィル・ベルフィールド氏は「彼女のような人には二度と出会えないでしょう。彼女を失った世界は、少し寂しいものです。彼女とともに仕事ができたことを誇りに思います。彼女は私たち、そして世界中の映画・テレビファンの心の中で生き続けるでしょう」と追悼した。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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