【東京国際映画祭】『妹兄とマンホールの蓋』監督インタビュー|母国でブラックリスト入りも「私を黙らせようとした人たちがいたのに、2本の映画を作った」
東京国際映画祭のコンペティション部門に選出された『妹兄とマンホールの蓋(原題:Sister Brother Manhole Cover)』を携え、ミルチョ・マンチェフスキ監督が来日した。『ビフォア・ザ・レイン』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞し、アカデミー賞外国語映画賞(現・国際長編映画賞)にもノミネートされた同監督が、新作に込めた思いや、母国の北マケドニアで経験したブラックリスト入り、映画業界への問題意識、そして初の長編ドキュメンタリーについて語った。
東京国際映画祭コンペ作『妹兄とマンホールの蓋』に込めた思い
『カイマック(原題:Kaymak)』以来、4年ぶりに東京国際映画祭に戻ってきたマンチェフスキ監督。北マケドニアとニューヨークを拠点に活動する同監督は、映画監督だけでなく、脚本家、写真家、アーティスト、教育者としても幅広い分野で活動してきた。
1992年には、アレステッド・ディベロップメントの楽曲「Tennessee」のミュージックビデオを手掛け、長編映画デビュー作『ビフォア・ザ・レイン』ではヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得。アカデミー賞外国語映画賞(現・国際長編映画賞)にもノミネートされた。また、HBOのドラマ『THE WIRE/ザ・ワイヤー』シーズン1のエピソードを監督した経験も持つ。
8作目の長編映画となる『妹兄とマンホールの蓋』は、10月30日に東京でワールドプレミアを迎えた作品だ。社会の周縁で生きる兄妹の愛を軸に、母親の存在や経済格差といったテーマを描いている。
本作の着想について、マンチェフスキ監督は、まず「境界のない愛」を描きたいと考えたことが出発点だったと明かす。ただし、そこにあるのは恋愛感情ではなく、兄妹の間に存在する愛情だ。
「マケドニアには姉妹愛を歌った民謡がたくさんあります。非常に興味深く、深い内容のものもあれば、その献身のあまり暗く、不穏な領域に踏み込むものもある。そこが物語の原型になりました」
さらに、監督が作品に盛り込みたかったのが、今後、社会の大きな課題になると考える経済格差だ。富を持つ人々と持たない人々の間に広がる不公平感が、社会をどのように動かしていくのか。その問題を扱いながらも、観客に教訓を押しつけるような作品にはしたくなかったという。
「風刺でありながら、登場人物を丁寧に見つめる人物ドラマでもある。そうすることで、美しい作品を生み出す土台ができると思いました。美しさがないのなら、なぜ芸術を作るのでしょうか」
映画業界に広がる「ネオ・ソーシャル・リアリズム」への懸念
近年の映画業界では、社会的なメッセージを前面に押し出した作品が増えている。マンチェフスキ監督は、こうした傾向が映画製作のあり方そのものに影響を与えていると指摘する。
「映画業界全体で、それが一種の必須条件やスタイルになっています。映画基金や映画祭もそうです。私は共産主義と社会主義リアリズムの中で育ったので、今になって『ネオ・ソーシャル・リアリズム』を目にするのは少し悲しいですね」
監督が問題視するのは、映画が社会的な主張を伝えるための手段に限定されてしまうことだけではない。作品そのものではなく、監督の出自や政治的背景、生活スタイルなど、映画そのものとは関係のない要素によって評価される風潮にも疑問を呈する。
「映画には、語れることも、表現できることも、創造できることもたくさんあります。それなのに、パンフレットのような作品に自分を閉じ込めてしまうのは残念です。観客としては、本当は映画がどこから生まれたのか、誰が作ったのかさえ知らずに見たい。作品そのものを、オープニングからエンドクレジットまで楽しみたいのです」
こうした考え方の背景には、旧ユーゴスラビアで過ごした幼少期の経験がある。
当時のユーゴスラビアは世界の映画に比較的開かれており、テレビでは黒澤明監督の『羅生門』やベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』、オーソン・ウェルズ作品などを見ることができた。一方、映画館ではマカロニ・ウエスタンに親しみ、ユーゴスラビア国内で製作されたパルチザン映画にも触れていたという。1969年の映画『ネレトバの戦い』には、ユル・ブリンナーも出演している。
しかし、幼い頃から目にしてきたのは、映画の自由な表現ばかりではなかった。監督は、検閲という問題を早い段階から意識するようになったと振り返る。
「製作が認められた映画が、完成後に上映禁止になることもありました。世論が変わり、権力を持つ人々が変われば、判断も変わるのです」
1960年代後半から1970年代初頭にかけては、ドゥシャン・マカヴェイエフ、アレクサンダル・ペトロヴィッチ、ジヴォイン・パヴロヴィッチらによる「ブラック・ウェーブ」と呼ばれる映画運動が注目を集めた。国際的に評価された作品もあった一方、国内では検閲や上映禁止の対象となった作品もあり、監督たちは厳しい状況に置かれたという。
こうした経験が、ハリウッドやレコード会社、政府など、あらゆる場所での検閲に対する敏感な姿勢につながっている。
母親を描き続ける理由は、幼少期の喪失体験にあった
マンチェフスキ監督の作品には、繰り返し母親が登場する。前回の東京訪問時にも話題になったというこのテーマについて、監督は、その背景に自身の幼少期の経験があると語った。
「私の映画には、どの作品にも母親が登場します。『母の亡霊(英題:The Ghost of My Mother)』というフィクション作品の本も書きました。ただ、最初から母親について描こうと決めていたわけではありません」
監督は6歳半のときに母親を亡くしたが、その事実を長年受け入れられなかったという。
「母親が亡くなったことだけでなく、その事実を何年も受け入れようとしなかったことも、自分の思考の中に影響を残しているのだと思います。意識していないところで、それが作品に表れているのでしょう」
一方で、母親という存在そのものが、物語を生み出すうえで非常に魅力的な題材だとも語る。本作にも、刑務所にいる母親と、目の見えない母親という2人の人物が登場する。
特に盲目の母親については、さまざまな神話や童話に登場する人物のイメージを重ね合わせたという。
「盲目でありながら物事を感じ取る預言者シビュラのような存在であり、脅威でもある。そして『ヘンゼルとグレーテル』に登場する魔女でもあります。ただ、それを逆転させてみるのです」
こうした要素は、最初からすべて計算して盛り込むわけではない。脚本を書き、書き直し、リハーサルを重ねるなかで、テーマが自然に浮かび上がってくるのだという。
また、監督は登場人物を善悪だけで判断しないことも重視している。本作の兄妹は、互いを思いやる一方で、犯罪に手を染めたり、他人を操ったりする側面も持つ。
「人間は誰もが矛盾を抱えています。そうした姿を描くことは、より誠実ですし、観客にとっても興味深いものになると思います。芸術、少なくとも物語を描く芸術とは、欠点も含めて人間であるとはどういうことなのかを探るものです」
母国の北マケドニアでブラックリスト入り、映画製作を阻まれた過去
本作は複数の国が参加する共同製作映画だ。監督によれば、製作資金は当初、4年前に確保されていた。しかし、北マケドニアの映画機関における汚職を2020年と2022年の2度にわたって告発したことで、状況が一変したという。
「私はブラックリストに載せられ、企画は凍結されました。完成していた『Kaymak』も公開を阻まれたのです」
監督によると、告発した問題は首相にまで報告され、その後、政府系メディアによる中傷キャンペーンや刑事告発も行われたという。一方で、監督は自身が告発した問題について、反汚職委員会と国家監査局から確認を得たと説明。トランスペアレンシー・インターナショナルやウィッスルブローイング・インターナショナル・ネットワーク(WIN)、ヴェネツィア国際映画祭からも支援を受けたという。
さらに、監督自身が映画機関を相手に2件の訴訟を起こし、いずれも勝訴した。
「映画機関に対する訴訟に勝ったことで、ようやく本作の製作資金が解放されました。私が告発した汚職に関する調査は、今も手続きが続いています」
監督は、映画機関から資金を受け取りながら、実際には製作されなかった企画が多数存在すると指摘する。
「部分的、あるいは全面的に資金提供を受けたにもかかわらず、完成しなかった企画が39本ありました。誰も気に留めていません。資金は分配されてしまったのです」
ナイトクラブ火災を題材にした初の長編ドキュメンタリー
こうした状況のなかで、マンチェフスキ監督は自身初となる長編ドキュメンタリー『Good People(原題:Добри луѓе)』を製作した。題材となったのは、2025年3月16日に北マケドニアのコチャニで発生したナイトクラブ火災だ。63人が死亡、193人が負傷したこの悲劇を、生存者や犠牲者の家族、救助に関わった人々の証言を通して記録している。
製作の理由は2つあったという。1つは、弁護士とのやり取りに追われる日々のなかで、創作活動を続ける場所が必要だったこと。そしてもう1つは、火災の被害に遭った人々の声を聞きたいという思いだった。
「これは悲劇を記録するだけの作品ではありません。死と向き合った瞬間に何を考えたのか、その経験を本人たちから聞きたかったのです」
監督は火災からわずか1カ月後に撮影を開始。炎に包まれた現場から生還した人々に、死を目前にしたとき何を考え、何を感じたのかを尋ねた。
その答えはさまざまだった。家族のことを心配しながらも、自分は大丈夫だと思っていた人もいれば、脱出するためにほかの人を押しのけたと打ち明ける人もいた。一方で、煙に息を詰まらせ、自らも負傷しながら、何度も炎の中に戻って人々を救った人たちもいた。犠牲者の家族にも話を聞いている。
作品の演出は、極力そぎ落としたミニマルなものにした。装飾を排し、観客が目の前にいる人々と正面から向き合えるようにするためだという。
製作費は監督自身が負担した。映画機関から資金を得られなかったことに加え、作品が政治利用されることを避けたかったからだ。
『妹兄とマンホールの蓋』と『Good People』は、同時期に編集作業が進められた。性質の異なる2作品を並行して編集するのは大変だったものの、互いの作品から離れて別の作品に取り組むことで、新たな視点を得られたという。
『Good People』はサラエボでプレミア上映された後、複数の映画祭に出品され、北マケドニアでは劇場公開も実現。その後テレビでも放送され、トリノでの上映も予定されている。
「私を黙らせようとした人たちがいたのに、結果的に私は2本の映画を作りました」
ドキュメンタリー映画に対する疑念と、30年以上温めてきた新作
初の長編ドキュメンタリーを手掛けたマンチェフスキ監督だが、実は以前からドキュメンタリーというジャンルに懐疑的な見方を持っていたという。
その理由の1つは、重要な題材を扱っていることが、映画としての完成度の低さを覆い隠してしまう場合があるからだ。
「題材そのものは称賛されるべきです。しかし、その映画を作るために注がれた才能や努力が見過ごされてしまうことがあります。それは公平ではありません」
もう1つの懸念は、ドキュメンタリーが「真実」を伝えるものだと断定してしまうことだ。
「真実は、1本の映画で伝えられるほど単純ではありません。ドキュメンタリーを作ることには、ある種の思い上がりがあるように感じます。自分が真実を扱っている、と。でも、実際に提示しているのは真実の解釈です。それ自体が公平で、素晴らしく、深いものである可能性はありますが、あくまで1つの解釈なのです」
もちろん、世界には優れたドキュメンタリー映画が数多く存在することも認めている。監督が違和感を覚えるのは、真摯さと、真実を扱っているという過度な自負なのだという。
最後に、今後のプロジェクトについて尋ねると、長年温めてきた企画があることを明かした。タイトルは『ホームカミング(英題:Homecoming)』。死を迎えるために故郷へ戻った男性が、自分自身を許すことを学んでいく、ハッピーエンドの物語だという。
監督によれば、この企画は30年以上にわたって考え続けてきたもの。これまでも何度も取り組もうとしながら、完成に至らなかった。
「物語や感情、構成をシンプルに整理し直したことで、ようやく作品の全体像が見えてきました。これほど長い間、何度も立ち戻ってきた企画は初めてです」
30年以上温めてきた物語が、ようやく動き出そうとしている。マンチェフスキ監督は、これからも自らの信念に従い、物語を作り続けていく。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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