カンヌで絶賛!濱口竜介監督作『急に具合が悪くなる』米レビュー│生死と“魂の出会い”を描く、静かなる感動作
第79回カンヌ国際映画祭にて、コンペティション部門に出品された濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』がプレミア上映を迎えた。パリの高齢者介護施設を舞台に、見知らぬ2人の女性が「人間の尊厳」を軸に結びついていく姿を描いた本作。濱口監督にとって初のフランス語作品でもある。
宮野真生子・磯野真穂による同名書籍を大幅に脚色し、濱口竜介とレア・ル・ディムナが脚本を執筆。ヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が主演を務め、長塚京三、黒崎煌代らが出演した。
本記事では、米『ハリウッド・リポーター』による本作のレビューをお届けする。
濱口竜介の新たな到達点『急に具合が悪くなる』――“3時間の対話”が大きな感動へ導く
正直に言って、『急に具合が悪くなる』は、忍耐強さを必要とする作品だ。しかし、その先には豊かな感動が待っている。
濱口はこれまで一貫して、「プロセス」や「交渉」、そして「探求」としての思想の交換を描いてきた。『ドライブ・マイ・カー』(2021年)における演劇ワークショップ、『悪は存在しない』(2023年)における開発計画を巡る町民集会――濱口作品では、「会話そのもの」が一つの行為として機能している。

その延長線上にあるのが、『急に具合が悪くなる』だと言える。本作でも、スタッフによる会議や研修が重要な役割を果たしている。舞台となるのは、パリ郊外の高齢者介護施設。先進的な理念を掲げる女性施設長が、慢性的な人手不足と、利益優先の経営方針の狭間で葛藤する姿が描かれる。
本作の根底にあるのは、「資本主義末期の少子高齢化社会で、『個人へのケアと思いやり』は生き残れるのか」という問いだ。富の集中が進む一方で、ケア労働者の賃金は下がり続け、その結果として出生率の低下や労働力不足が加速している。そのしわ寄せは、高齢化社会を支える医療・介護の現場に深刻な形で現れている。
こう聞くと、やや観念的で無味乾燥な作品に思われるかもしれない。実際、ホワイトボードに図表や箇条書きを並べながら、登場人物たちが議論を交わすシーンも多い。しかし濱口は、独自のドキュメンタリー的手法を活用している。前半の1時間は、ゆったりとしたテンポでありながら、膨大な台詞で進行していく。これを辛抱強く見届けた観客には、「尊厳」と「敬意」を基本的人権として肯定する、静かながらも大きな感動が待ち受けている。
本作は上映時間3時間超という大作だが、この作品がもたらす体験には、それだけの時間を“待つ”価値がある。
パリの介護現場で理想と現実が衝突する
近年、認知症のテーマを扱った映画は数多く製作されているが、『急に具合が悪くなる』は明確に異なる。認知機能が衰えていく高齢者たち、そして彼らに少しでも安らぎや喜びを届けようとする2人の女性を、濱口は静かな眼差しで見つめている。同じような病を抱える家族や親族と向き合った経験のある観客なら、深く心を揺さぶられるだろう。
マリー=ルー・フォンテーヌ(演:ヴィルジニー・エフィラ)は、パリ郊外に位置する介護施設の施設長。「ユマニチュード」と呼ばれる思いやりを重視したケア理念を実践しており、施設内では異例と言える大きな裁量権を与えられている。
しかし、多くのスタッフは彼女の方針に反発している。特に強く異を唱えるのが、精神科病院時代から勤務しているベテラン看護師ソフィー(演:マリー・ビュネル)だ。
彼女たちの主張は現実的である。マリー=ルーの理想を実践するには、日々の巡回業務に膨大な時間が必要となり、結果として業務が後ろ倒しになってしまう。さらに、年3回義務付けられている研修セミナーのために、現場の人員まで削られている。また、「垂直性」を重視して患者に歩行を促す方針も、ソフィーらは「転倒リスクを高めるだけだ」と考えている。
本作の脚本が優れているのは、こうした反対派を、単なる頑固者として描いていない点だ。彼女たちは限られたリソースのなかで現実的に働くプロフェッショナルであり、理想論だけでは現場は回らないことを理解している。
また、「ユマニチュード」では私服勤務や患者との個人的な関わりを推奨している一方で、ソフィーたちは看護師の制服を着用し、効率性を重視して働いていることも興味深い。そこには、ケアに対する根本的な「価値観の違い」が表れている。
病と向き合う2人の女性、“希望と忍耐”がつなぐ友情の物語
ある日トラムに乗りながら、職場での軋轢について思い悩んでいたマリー=ルーは、道路脇をぎこちなく走る少年(演:黒崎煌代)を目にする。彼女はトラムを降りて少年を追いかけ、公園で突然の夕立をともにやり過ごす。やがてGPSアプリを頼りに保護者が駆けつけ、少年が「智樹」という名で、自閉症を抱えていることを知る。
彼女に感謝を伝えたのは、実験的な舞台演出家として知られる真理(演:岡本多緒)と、俳優で智樹の祖父・吾郎(演:長塚京三)だった。招待され、マリー=ルーは彼らの舞台を観劇する。それは精神科施設の廃止をテーマにした作品であり、精神疾患への新たな考えを提示する前衛的な舞台だった。
「不可能なことは不可能だ。だが、それは可能になるまでの話だ」という吾郎の言葉は、本作全体を貫く「希望と忍耐」のメッセージを象徴している。

彼らの舞台に共鳴したマリー=ルーは、終演後に真理と語り合い、そのまま夜通し対話を重ねる。2人の友情は急速に深まっていく。マリー=ルーは東京で文化人類学を学んでおり、日本語が堪能。一方、真理はソルボンヌ大学で哲学を学び、流暢なフランス語を話す。
この2人の関係性は、本作の着想源となった宮野真生子と磯野真穂による往復書簡を思わせる。同書は、病と向き合う哲学者同士の対話をまとめたノンフィクション作品だ。
マリー=ルーは職場での葛藤を打ち明ける。すると、真理は自身が末期がんを患っており、いつ容態が急変してもおかしくないことを、驚くほど淡々と語る。
やがて真理はマリー=ルーの介護施設に頻繁に出入りするようになり、スタッフや入居者を巻き込んだワークショップに彼女を誘う。2人の絆はさらに深まり、その前向きなエネルギーはスタッフたちにも自然と波及していく。
静かな死生観と思いやりを描いた傑作
女性同士の友情や、介護の職場を丹念に描くドキュメンタリー的視点、思いやりを「抵抗」として捉える発想、そして死を見つめる精神的な時間――これらを一本の映画として成立させている点に、濱口の卓越した手腕が光っている。
本作には、濱口作品らしい「人と人がつながる瞬間の輝き」が数多く刻まれている。庭の木陰で昼寝から目覚めたマリー=ルーの穏やかな幸福。気丈な入居者ミレイユ(演:エヴリーヌ・イストリア)とタバコを分け合う時間。そして、マリー=ルーとソフィーの和解――ソフィーが辞めれば他の看護師や介護士も続いて辞めていく可能性が高い。そうした現場での影響力をマリー=ルーが認めたことで、2人の関係は変化していく。
マリー=ルーを演じるエフィラは、レベッカ・ズロトヴスキ作品などで頭角を現して以来、着実に実力を磨いてきた俳優だ。本作でも、彼女が持つ生来の柔らかさが全編ににじみ出ている。誰かと衝突するシーンで見せる脆さや、燃え尽きる寸前の疲弊した姿には、強いリアリティがある。
一方、モデルから俳優へ転身し、『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)やドラマ『ウエストワールド』(2016年~)、『ハンニバル』(2013年~)で知られる岡本も、見事な存在感を放っている。彼女の静謐な佇まいには、死へ向かう時間を静かに受け止める覚悟が宿っている。

マリー=ルーと真理はともに京都を訪れる。山の中腹に腰を下ろし、眼下に広がる京都の街を眺めながらカップ麺を食べるシーンは、ひときわ美しい。その時、真理は緩和ケアホスピスへの入所を考えていた。しかし、最終的にマリー=ルーは真理を思いとどまらせ、パリへ戻って介護施設の「アーティスト・イン・レジデンス」として暮らすよう提案する。どれほど身体機能が衰えても、最後まで生きる意味を感じてほしいと願っているからだ。
そして、同僚から「真理のワークショップは、患者以上にスタッフたちを救っている」と告げられた瞬間こそ、マリー=ルーにとって何より心温まるものだった。
『急に具合が悪くなる』は、ドラマ性よりもテーマ性を優先した、やや風変わりで大胆な作品だ。濱口の作風と波長が合わない観客には、冗長で乾いた映画に映るかもしれない。だが、この緩やかな時間に身を委ねることができれば、「どんな命にも価値がある」という視点に、あらゆるものを超越した美しさを見出せるはずだ。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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